< 仏教を誤解せる人々に >




仏教は反厭世的の宗教


 私は今までに仏陀の生涯と、その教理及び教団と、思想的傾向について大略を叙述してきました。

 仏陀の八十年の生活と、幾百年間の仏教徒の事業を記し、その全豹を窺わんとすることの容易な事業でないことは、ここに改めていうまでもないことである。

 それ故に、かかる記述は後日に護り、本章に於いては仏教に対して、古来より懐かれたる幾多の非難や謬見に反駁を加え、正しい仏教を指示してみたいと思うのである。

 かつて”ハルナック”が仏教を評して、『一定の主義も、根本観念もなく、個々の律法によって規定する宗教である』といったことがある。これは非常な誤解である。

 この”ハルナック”の如く、仏教を真に理解していない人はいうまでもないが、中には仏教とでありながら、仏教を厭世的の宗教であると考えているのは謬見の一つであるといわねばならぬ。仏陀の教は楽天的でもない、また厭世的でもない、すなわち、この両極端を避けて真理の中道に存することを教えるものである。彼岸にいたらんがためには、寂静の境地を滋養すべきことは既に本書に幾度となく繰り返して述べたはずである。この目的地にいたる手段の中に所謂『正覚への七歩』という言葉がある。その中に快活という意味の語が記されている・・・他はすなわち、心明、探求、熱心、集中、沈着の六つである・・・。

 また四聖諦の中には愉快な心をもって始めて達せられるものがある。これらは厭世的と思われる個所を見出すのに苦しむのである。それのみならず自力によって苦脳を断絶し得ることを説く宗教は、救済は神の恩寵にかかるから、少数の人々のみが選ばれて救済され、その他の人々は凡て永久に救われないものと説く宗教よりも、厭世的でないことはいうまでもないことである。

 また満月の夜に催される幾多の宗教的儀式に『あわれむべき罪人』であるとの感じは微塵もおこらない。また、その反対に馬鹿騒ぎなどしないが、すべての人々が楽しく生活をつづけてゆく点などのことは、今までの人があまり認めていないので、仏教は厭世的の宗教であるとの断案を早計にも下しているのではあるまいかと思う。これは謬見の一つとして記さねばならぬことであると思う。




非遊惰の宗教


 更に仏教に対する謬見は、仏教は瞑想を重んじ、これを専一にして働かぬ故、人を遊惰にするという事である。しかしこの非難は全くあたっておらぬと思う。その故は、深く瞑想に耽るということの極めて困難であることはいうまでもないが、仏陀はこの瞑想の世界に入って知見を開かれ、そして忍耐と熱心とを極力すすめられたのである。その反対の安逸と怠惰は口を極めて非難せられたのであったからである。このことは原典の記述を引用すれば明瞭になるであろう。


一、智慧なき愚人は放逸を貪れども、賢者は不放逸を無上の宝としてこれを護る。


二、自己を制御して正法を生命とす、不放逸の人には名声いよいよあがらん。


三、我は戯言、安逸、不節制、不満足の如く容易く悪に導き善を妨ぐるものをまたと知らず、我は熱心の如く容易く善に導き悪を妨ぐるものをまたと知らず。


四、怠惰安逸の百年は努力勤勉の一日に如かず。


五、怠惰は汚損なり。


六、人間の忍耐と努力とをもって達し得らるるすべてが達せらるるまでは、我が筋も皮も腱も骨も肉も血も萎ゆるもよし、腐るも可なり、我が精根はすなわち捨てる能わず。


七、不放逸を楽しみ、放逸を見て畏怖する比丘は破滅に陥ることなく、涅槃に近づきゆくなり。


 また教理の章下で述べたように正精進が聖八正道に一つであることも、この偏見を打破した点であると考察せねばならぬ。それは真面目なる、求道の精進であるからである。実に仏陀の教は勇猛精進の教であった。それ故、あるとき仏陀に対して、「何故に仏陀の弟子が闘士であると呼ばれているのですか」と、尋ねたものがあったとき、仏陀は、「彼等は高き徳を、高き努力を、高き智慧を得て正精進につとめ、正覚に達せんとして不断に闘っているからである」と答えられたといわれている。

 また仏陀は無為を教えるものだと非難せられたとき、仏陀は「我は無為のみを教えない、無為と為とを教える、悪行の無為と邪語を発せざることを、邪念をいだかざることを教える。我は善行のなすべきことを、善言の発すべきことを、正念をいだくべきことを教える。かくして我は無為と為とを教える」と。

 また「一徳は至福をもたらす、何れにか、不屈の熱心をもって善事にあたることを」といわれたと古来の伝承には伝えられている。仏陀の教えはかくの如く一方に偏した無為のみを教えていない。真理の前面に亘りてその中道を指示して、これに到達することを教えているのである。




敵を憎まぬ宗教


 私はさきに仏教が万物に対する愛を如何に高く評価しているかを述べた。それには「人はその敵を憎むべからざること」が特に高潮されている。これはキリスト教でいうような「敵を愛せよ」とは大分に趣を異にしている。それは「ダンマパーダ」にのこされているように「いかなる時にも怨みは怨みによりて鎮まらず、怨むことなきによりてそは鎮まる。これ如来の法なり」また、「敵の間にありて敵心なく生くるは幸なり。敵心ある人々の間に我は敵心なく生く」と。

 仏陀はあくまでも理想的要求をいわなかった。ただ教えられるところのものはどこまでも理性的に要求し得べきものである。

 それ故に憎しみに対して憎しみをもってしてはならない。己を憎むものにも好意を向けよといったのである。我々は自己を偽らざる限り、我々には敵を愛することは不可能であると告白せざるを得ないのである。それで我々の慎み守るところのものは、ただ敵を憎まぬこと、敵に対して悪感情や復仇の念をいだかぬことである。

 更に経典の中から拾遺して見よう。


一、人もし手あるいは剣をもって汝を打つとも復仇の念をおこすことなかれ、翻ってかく思うべし、我の心は静なりや、悪言が口を漏れざるや、我は心に無念を懐かず、親切に慈悲深くありたし、と。たとえ盗人があって鋭き鋸もて汝の四肢と関節とを切断するというとも、怒りに身を任かしたらんものは我の教を守らざるものなり。


二、すべての星の光を集むるも月光の十六分の一に足らざる如く、月光は自ら星の光を集めて照り輝き光を放つ如く、人の徳行を積み重ねるこの世の手段は、心の済度なる解脱の十六分の一の値もない。朗らかに雲なき空に日は照り輝き、万物を照らし光あらしむるが如く、心の済度なる解脱、即ち慈悲はあらゆる功徳を越えて輝き照らし光あらしむ。


三、愛は心の済度なり。


四、すべて生けるものよ幸あれ。


五、すべて生けるものよ、大も小も、遠きも近きも、見ゆるも見えざるも、平和と幸福とを楽しめかし、わずらいと苦しみより免れかし。


 既に教団の章下で述べたように、あるとき教団に紛争が起こって比丘達の間に刄杖を用いるようにさえなったので、仏陀は教団をのがれて森に行かれた。そこにはアヌルダ、ナンデイカ、キヤムビラの三人が規則正しく平和に道を修めていた。三人の中、食を求めて初めに帰るものは席を作り、水を汲みて洗足器を出し、足を洗い、食事おわりて食物が余れば浄地におき、後を片付けて禅定に入る。後に帰るものは食事が足らざれば前の浄地のものを食し、また余れば浄地においておく、かくて禅定に入る。禅定より始めて起ったものは水がなくなっておれば水を汲みにゆく、そして五日に一度集まって語り合い、極めて平和な静寂な生活をつづけていた。仏陀がこの静かな森を訪ねられたとき、森の番人はそれが仏陀なることを知らずに「沙門よ、この森に入ってはいけませぬ、ここには三人の聖者が静かに道を修めて安住しています」と。仏陀は「三人の聖者は我を見たならば喜ぶであろう」と仰せられた。このとき三人の比丘は仏陀を見て喜び迎え、アヌルダはその食器と衣を執り、ナンデイカは座席を設け、キヤムビラは洗足の水を汲んだ。かくて仏陀は聖者に迎えられて席につかれると、安否と修道の有様を問われた。

 アヌルダは「世尊よ、我等三人は心を一にして、争うことなく喜んで有情にみちた生活をしています。世尊よ、私達は同じ道を求める比丘達と共におることは幸福であると思っています。世尊よ、私達は手と口と心とに表われたると隠れたるとの別なく互いに楽しく送っています。また世尊よ、私達は自分に心に思うことを抑制して、友の比丘の意に従うことをよいことであると思って、かくすることを努めています。それで三人の身体は別々でありますが心は一つであります」と答えた。

 ナンデイカ、キヤムビラにも、仏陀は同じ問いを発せられたが、彼等二人もアヌルダと同じように答えた。

 これと同じような物語は仏典の各所に見出される。実に仏陀の教は、「怨みに怨みをもって報ゆるなかれ、怨みなきによって怨みは消ゆる」慈悲の宗教であった。それ故に「慈悲は心の解脱であり、心の済度であった」のである。




慈悲の宗教


 私はここに仏陀に教えの根本ともいうべき慈悲のことを述べよう。仏陀は常に子どもの生命をまもる慈母の如くに、人々はすべてのものに対して無限の慈悲心を抱かねばならぬ。この慈悲の心をもって一方を次に二方を次に三方を次に四方を、そしてあらゆる方面に敵もなく仇もなく、限りなき慈悲心を抱かねばならぬ、そしてすべての中に自分自らを認め自分とすべてとを一体とせねばならぬ、如何なる生物といえども、一切もらさず愛の心をもって、ゆたかに、限りなき深き心をもって全世界を貫かねばならぬ。この心を抱く者こそ聖者である。といって四無量心を説かれた。この四無量心は慈、悲、喜、捨の四徳である。この中の「捨」は普通にいう「捨」と異なって「平等」を意味することであることを間違えてはならぬのである。

 慈悲の徳について、仏陀がいかに他を感化する力に富んでいられたかの物語をここに引いて見よう。

 それは教団の條下で述べた話の引き続きであるが、仏陀の教団に対して提婆達多は迫害を試みようとしたことがある。その迫害は幾度も加えられたが一度も成功はしなかった。敵意に燃えている提婆は阿闍世王の許にゆき、王の大象「ナラギリ」をかりて、仏陀と踏み殺させようと考えている旨を述べて、その承諾を得たのであった。

 阿闍世王は王舎城の人々に「命の惜しいものは明朝町を歩いてはならぬ」と布告をした。仏陀を帰依している人は教団にゆきて明朝の行乞を中止せられるよう、布告の事情を告げた。仏陀はこれを斥けられて、その翌日平生のように比丘達をつれて城内を行乞せられた。町には人影もなかった。家々の人々は戦々恐々として、その一日の早く過ぎるのを祈っておったのであった。

 町から町へ行乞に歩いてゆかれる仏陀を、大象の「ナラギリ」は強烈なる酒に酔い、獰猛は更にその度を加えている眼をもって眺め、強大なる鼻を振り町の家々を打ち砕きながら、仏陀に打ちかからんと狂気のように駆けてきた。仏陀は弟子達が前に出て仏陀の身をかばわんとするのを止められて、狂奔してくる大象の前に静に歩みを運ばせられて慈悲心の三昧に入られた。このとき猛り狂っていた大象も仏陀の慈悲心に打たれて、幼児の如く静になり。長跪して仏陀の足をなめて退き去ったと伝えられている。

 かくの如くに仏陀の慈悲心は強大なものであった。それ故人々を済度するのに、常にこの慈悲心をもって貫かれたのである。この慈悲心があるものは、また自然に八功徳が備わるのである。




自利独善の宗教ではない


 更に仏教に対する謬見は、未来において幸福な再生を得ようと希望して功徳を積もうとする結果、独善主義に陥ってしまうという非難である。しかしながら仮にそのような動機があるにしても、所謂独善心が他に対して善行を施す限り、その非難はあたらないのである。

 仏教が善業を貴いものとしていることは倫理説に述べた如くで勿論であるが、しかしたとえこの独善心を認めるにしても、自己の霊魂が自己の善業のために永久の報酬を刈り入れると確信している人達の独善心ほど強くはない。しかるに仏教は自ら報酬を刈り取るとは教えていないのである。ただ業の結果として生ずる生物のために、よき再生を用意するに過ぎないのである。しかしながら、これとても永久のものではなくして、ある限られたる時間にすぎないことを教えているのである。

 それ故に、もしも涅槃にいたる目的をもって善をなすならば、それは疑いもなく独善心である。かかる人はスッタニパータにいうように、「苦を消滅したるものは高慢より離脱し、快楽の邪路を征服し、己にかちて涅槃を得たるものにして、心堅くして世界を正しく歩むものである」との境地には達せられないであろう。なぜならば涅槃とは完全に無我の境地であるから、自利、独善の心をもって到達し得るはずがないからである。




知識の宗教


 仏教は道徳のみならず、また知識をも求めるのである。それは仏陀その人や、あついは何年かの教理を信ずるがためではなくして、戒律の真理と普遍性とを我々自身が反省し、熟慮することによって確信するがために、教理を遵奉することは仏教の要求する当然の帰結なるが故である。

 我々は「仏陀の教理」の章下において、十二因縁の第一位にあり、その基礎をなすものは無明、すなわち無智であることは既に知ったはずである。

 この無明に対して当時の印度の哲学すなわち瑜伽、数論は、物質と精神とが全然異なったものであることを知らぬ知識をさしていっておったのである。それで肉体と精神との結合が分離すれば涅槃、解脱の境地に入れる、故に無明は行の原因であると教えていたのであった。

 しかるに仏陀の無明はこれと少し違っていた。すなわち無明というのは仏陀の教えに対する知識の欠乏を意味したので、これを知らないものは行を滅することが出来ない。それ故に涅槃に入ることはできないと。舎利弗はかつていった「友よ、苦を知らず、また苦の成立をも知らず、苦の消滅をも知らず、苦の消滅にいたる道も知らず、これを無明という」と。仏陀の弟子の中にもこの印度の哲学である無明の意味を無智と解していたものも少なくはなかった。しかしそれは仏教と少しの距離があることを知らねばならぬ。

 仏陀はベーダの経典を盲信するバラモンを一列の盲人に譬えられたことがあった。すなわち初めのものも見えず、終りのものも見えず、中間の者達も見えず、彼等はただ他の語り伝えるところを信ずる外はないのである、と。

 仏陀が探求して盲信してはならないと教えられたことはカラマの人々に試みられた説教に巧みに表わされている。あるとき、幾人かのカラマの人々が仏陀の許にきていった。「色々のバラモンや苦行者達がきて、それぞれちがった意見を述べます。これのために私達は何を信じてよいかに迷っております」と。そのとき仏陀は「お前達の心に疑惑の生じたのはもっともである。盲信は斥けねばならぬ、また風聞や伝承や単なる主張、所謂聖典の権威や論理の演繹、方法的誘導や、あるいは五感の単なる証拠や慣れ来たりの意見、または概念によって判断してはならない、のみならず外見だけによって判断してはならない、苦行者や師がいったからとて、そのまま信じてはならない。しかしながら、お前達がもし「これは誤りである、これは斥けねばならない、これをしたならば自分のみならず、他人にも害を与える」と認めたならば、そのときは直ちに拒むべきである。しかしながら「これは正しい、これは非難すべきではない、これをしたならば自他ともに幸福安寧である」と思ったならば、それを受け入れ、これに従って活動すべきである」と教えられた。

 また仏陀はクシナガラで入滅せられるのに間もない頃、弟子達に向って、「お前達が一つの意見をいだく場合は、我を敬い重んじようとするためか、また我に対する尊敬の心からであるか」と。「如来よ、然らず」「しからば、お前達はその意見を自ら捉え自ら認めたためではないのか」「如来よ、然り」との問答が繰り返されたと伝えられている。

 仏陀hはあるとき「比丘等よ、お前達は目的地に達したならば、自分の教えから自分を解放せよ」とも教えられた。また仏陀は自分の教えを筏に譬えられたことがある。筏は河を渡るのに役に立つが、河を渡ってしまえば、要はなくなるともいわれた。この喩えは非常に適切であると思う。なぜならば仏教では涅槃を彼岸と呼んでいるからである。




奇蹟を説かぬ宗教


 現今、世界に行なわれている宗教のうち、奇蹟を説かない宗教は一つもないといってよい位に、奇蹟は宗教の重要な一要素となっているのである。しかるに仏教は反省と知識とを教え、これを求めるだけであって奇蹟を説かないのである。それ故に仏陀は弟子達に向って奇蹟を行なう事を禁じられた。教団を追放せられるのに四つの理由がある。それは殺生と偸盗と邪淫と、今一つはこの奇跡であったことも、仏教の教理とその教団を知るのに見逃してはならぬ事柄である。

 また仏陀はある時、星の位置や、その他の手段で未来を予言したり、あるいは運命を占ったりすることを禁じられた。それで、ある日、仏陀の許に幾人かの弟子が来て、奇蹟を望んでいる人々に対して仏教の優れている事を認めしめるのに、奇蹟を演じて改宗せしむることの許しを乞うた。そのとき仏陀は「そのような奇蹟は手品師でもする。説服改宗せしめることこそ最大の奇蹟である」と告げられたと伝えられているのである。




秘密のない宗教


 仏陀は解脱への道を悟られたとき「不死の門は開かれた。耳あるものは来たりて聞け」と宣言せられたといわれている。また「三つのもの世を照らす、月と日と我が教えと」、あるときは「教えの奥義を幾人かの愛弟子にのみ伝える、師の握拳を我は持たない」と、これはバラモンの教えと風習とを打破する一つの警鐘であった。それ故に近代の宗教や哲学などを表象するに、セオソヒー(神智説)などとなした如くに、仏教をもって何らかの密説があるものとして、これに秘密的仏教の札をはるのは謬見のもっとも甚だしいものといわねばならぬ。

 これらのいろいろの体系をなすものが、仏教から業とか涅槃とかの語を借用し来りて、それにバラモン教、キリスト教、あるいはその他の、神秘的、魔術的の諸観念を結合さして「これが仏教である」というような、変質的奇形的のものとなしたことは、仏教にとって非常に悲しいことであるといわねばならぬ。

 純正なる仏教はかくの如くに純なるものである。しかるに、その純なる仏教にいろいろの不用のものを貼付し仏教を装飾せんとして、反って仏教を死地にいたらしめたのである。そしてある一面には神秘説や秘密的仏教などの奇蹟によって多くの人々を驚異せしめ、民衆に対して魅力ある宗教の如くに考えさしたのであるが、他の一面においては人々が純正の仏教を研究し、仏陀の真意にふれることを拒み妨げたのである。

 かつてリス・デイヴィス氏は「秘密的仏教」について云ったことがある、「書の題目は人を迷わす。書の内容は秘密的でもなく、仏教でもない、のみならず仏教には秘密的仏教というものは存在しない」と。味わうべき言ではなかろうか。




寛容なる伝道的の宗教


 仏陀の在世当時からインドでは、宗教上や哲学上の意見が多種多様に分かれていたが、仏陀はそれらの意見に対して極めて寛容な態度をとっておられた。仏教はまたこの態度を今日までもちつづけてきたので、二千五百年という長い間、誰一人として力をもって改宗させられたものもなく、また布教伝道のために一滴の血も流していないのである。かくの如き平和な寛容な宗教でありながら、仏教が伝道的の宗教であるのは、一の奇蹟であるといっても過言ではあるまいと思う。

 そしてこの仏教はインドから中央アジア及び東アジアに伝道せられたのみならず、蒙古人を始めその他の野蛮人を教徒にするとともに、その風俗をも改めていったのであった。

 紀元前二百五十年頃、有名なるアショカ王によって仏教が国教となったとき、寛容なる原則は出来るだけ広められ緩められ、適用せられるにいたったのである。

 これはアショカ王が広大なる帝国の全領土にわたって、岩石や石柱に刻した碑銘がもっとも雄弁にこの消息を伝えているのである。

 今これを少し引用してみよう。


一、朕は朕が領土ならび隣国のいたるところに人畜のために治療所を設けた。朕はまた人畜にために薬草をその欠けたる地方に輸送して植えた。道には井泉を作り、樹木を植え、あるいは郷党の集会を開きて人々を徳化せしめんとした。


一、朕が領土のいたるところの官吏は五年毎に巡視せねばならぬ。それは他の用務もあれど、特に敬虔の法を授け、次の如く教えんがためなり。・・・即ち父母に孝、朋友、故舊、親戚、バラモン及び苦行僧に寛容なるは功徳である。殺生を慎むは功徳である。多く散じ多く集めざるは功徳である・・・。


一、公務は久しく渋滞している。今朕は次の如く定む。即ち何時如何なる処にても、朕が食中毒なると、貴婦人室に居ると寝室にあると、厠にあると、軍中にあると乃至は宮廷にあるとに拘わらず、復命者は人民の業務につきて奏上すべし。朕は如何なるところにても歓んで人民の用務を聞き届くべし。何となれば朕は用務の尽力と処理において、充分満足しつくすことがないからである。それは臣民全体の安寧は朕がつとむべきところのもので、その根元は用務の尽力と処理とに存するからである。されば朕がなす如何なる努力も、一として生けるものが、すべて幸福になるよう、彼等を鼓舞するためである。


一、朕が官吏は須らく不正なる投獄を防ぎ障碍を除き、貧しきもの老いたるもの及び大なる家族を担えるものを助けるよう心掛けよ。


一、何人をも、貧しきもの、悩めるもの、否、奴隷、僕婢すらも心して扱え。


一、従来大膳職にては日に数百頭の生物を殺した。されど現在は日に三頭を殺すに過ぎない。この三頭も爾今殺してはならぬ。朕の領土にては、如何なる動物も犠牲のために殺してはならぬ。


一、朕は献上物や表面の尊敬よりも、あらゆる宗派の精髄の成長を望む。これには種々の形式があるとはいえ、その根元は言葉を慎むことである。即ち人は自派を重んじ、理由もないのに他派を誹謗してはならぬ。それは他派の人々と雖も皆な尊敬に値する何等かの理由があるからである。かくすることによりて人は自派を高めると同時に、他の宗派に奉仕するを得るからである。


一、諸の人民は皆朕が子である。朕は朕が子の今世と来世における、あらゆる繁栄と幸福をうけんことを願う如く、諸の人民に対してもまた同じことである。

 この外にも、同じような趣旨の布告が数多く記されているのであるが、今は省略しておく。


 その他、アショカ王が鶏園寺を建てて六万人の比丘を供養し、また結集をなせしこと、伝道に従事せしめて仏教の宣布に力をつくしたことなどは、いずれも教団の意の下において大略ながら述べたから、これも今は略しておこう。

 ともかくもアショカ王の仏教に対する功績は枚挙に遑がない位に甚大である。特に今日仏教が各地に伝えられ、その伝道の効果の著しいことも、ひとえにアショカ王の事業の賜である。これによって王の事蹟及びその名は不朽に伝えられるのである。




仏教の芸術


 更に題をめぐらして仏教の発達にともない、その美術に関する方面を眺めて見ても、仏教の影響するところは極めて偉大なものがある。すべて仏教の行なわれた国には仏教芸術ともいうべき特色のある美術がある。それが建築に、絵画に、彫刻に特異の道を進んで高速度に完成した。これはインドのみならず、南洋のジャバにも、支那、日本にも及んで、その建築物や記念碑、さては石窟の仏像、壁画などは、見るものをして感歎措く能わざらしむるにいたった点などは特筆する必要があるが、少数の紙面の尽くすところでもなく、また本書の題目とその距離を遠くするから、これも省いておこう。




アーノルド氏の批評


 また仏教が如何に強制を嫌い自由を重んずるかは、すべての宗教の中、特に注目を要するものである。それは仏教の建設にかかる教団においてすら服従については如何なる誓約もなかったのである。それ故に仏教はあらゆる桎梏と束縛とから人々を肉体的にも精神的にも、また宗教的にも社会的にも釈放することを本旨とするのである。そしてまた仏教徒は、決して隣人の政治的あるいは宗教的見解を左右しようとはしなかった。過去においてもそうであったが、現在でもそうである。

 それ故に、エドウィン・アーノルド氏が仏教を評して、「かつて今までに宣言せられたものの中で、最も壮大なる人間の自由の表明」といっているのは、蓋し適評といわねばならぬと思う。

 仏教は果して宗教なりや。哲学なりや、との論議は久し以前から繰り述されたところのものである。これは要するに宗教なる語に与えられる意味の如くに基づくのである。もしもこの語をもってキリスト教の狭い宗教観念、すなわち神と一定の教理との信仰を意味するに過ぎずとするならば、あるいは、また、この語をその文字通りの意味、すなわち神に縛られたるものと解するならば、仏教は宗教ではないのである。

 しかしながら宗教なるものを、知と情とを満足し、人生のあらゆる境界において慰安と扶助とを与えるものと解するならば、仏教は過去、現在における無数の仏教信者の証明するように、たしかに一つの立派な宗教であるといわねばならぬ。

 しかしまた、仏教は一つに立派な哲学である。それはなぜかといえば、仏教は盲信を要求せずして、身自ら探求と吟味と、それから生ずる確き信念を要求するからである。また仏教はこの現実の世のすべての事実を、自然の法則に依って説明するもので、神とか神秘力とかによる、この世以外の、あるいは、この世を超越したものによって説明するのではないからである。


 今まで述べてきたことはあまりに簡単であり、従って簡単なるが故に不完全であるのは勿論である。しかしながら、これだけで仏陀とはいかなる人か、また仏陀の教え即ち仏教とはどういうものであるか、それが仏陀の死後如何に伝承されてきたかの概観は、およそ理解ができることであろうと思う。

 かつてアーノルド氏は、「ザ・ライト・オヴ・エシア」(亜細亜の光)を公刊して仏陀の生涯と、その教理を美しき詩編として表わされた。実に仏陀はアジアの光である、否、全世界の光である。

 そかるに現代の人々は仏教をキリスト教に劣る、厭世、悲観、希望、利己的の低級なる宗教であると誤解し、「仏教徒」と名乗るのを恥じるが如くに、思惟している人々が可なりに多いのである。

 しかしながら、もっとも古き仏陀の教えは、もっとも新しく、またもっとも正しき教えとして二千五百年前、仏陀によって宣言せられ、今また我々の前に展開されているのである。


 我々は、この仏陀の教えを正しく認識し、また正しく理解せる仏教徒たらんことを願い、それを至上の光栄とするのである。

 かく思惟し、更に眼を転じて現代文化人と称する宗教意識とその観念を眺めるとき、我々は「宝玉をすてて瓦礫をつかむ」仏教徒以外の人々に、あわれみと同情の念とを禁じ得ないのである。

 光は東方より、我々は西欧崇拝の夢より覚めて、仏陀の教えに耳を傾けようではないか。



(木村善之)