< 伝承 日本精神神話 >



神道と仏教



< 日本的霊性 >



 日本的霊性ということを考えて見たいと思うのであるが、そのまえに霊性と精神の区別をしなければならないのである。霊性という言葉はあまり使われないが、精神は絶えず・・・ことに近頃になって、多く使われている。精神という言葉の中に含まれている意味をはっきりさせると、おのずから霊性の義も明らかになると思う。

 事実を言うと、精神という言葉は多様の意味に用いられているので、ときどき迷わされることがある。わしらが子供の頃、即ち明治の初期によく耳にした文句に「精神一到、何事不成(精神一たび到れば、何事か成ならざん)」というのがあった。このときの精神は、意志の義に用いられている。強硬な意力の持主には何でもやりとげられない事はない、というのである。がんらい意志・・・広い意味においての意志は、宇宙生成の根源力であると言ってよいのであるから、それが自分等、即ち個々の人間の上に現われるとき、心理学的意味の意思力と解せられる。この意志力が強ければ強いだけ、仕事ができるという”わけあい”になるであろう。朱子が「陽気の発する処、金石もまた透る」と言って、精神の力を強調するのも尤もの次第である。仏経にも「心を一処に制すれば、事として弁ぜらるはなし」とあるが、意志はつまり注意力にほかならぬからである。精神は注意力であると言ってよい。しかし今日、我らの耳辺に響く「日本精神」とか「日本的精神」とかいう言葉には、注意力または意志力の意味は含まれていないようだ。意志や注意に、日本だのシナだのユダヤだのということはないからである。


 ”精”というも”神”というも、もとは”心”の義であったろうと考えられる。この心というのがまたなかなかの問題をはらんでいる文字なので、精神が心だと言っても、それで精神がわかるわけではないのだ。『左伝』昭公二五年に「心之精爽、是謂魂魄(心の精爽なる、これを魂魄と謂う)」と書いてあるときくが、ここにある精爽の精は神であるということである。そうすると「精神」と熟字しても、つまりは神の一字に帰するのであろうか。そうして神というは、形に対し物に対するのであるから、神は心だといってよいのである。『漁樵問対』に「気行則神魂交、形返則精魄存、神魂行于天、精魄返于地(気行けば則ち神魂交わり、形返れば則ち精魄存す。神魂は地に返る)」とあるから、魂魄・・・精神・・・心、いずれも異字同義の文字と見て差支えないのであろう。こんなことを細かく文献によって詮索することは頗る有益なことで、今時流行の精神の義を闡明するに、大いに役立つのであるが、今はそんなこともできぬのであるから、ふつう今日の日本人が、どんなふうに精神の二字を熟語しているかを見るに止めよう。

 つまり精神は心・魂・物の中核ということである。しかし”たましい”と言うと、必ずしも精神に当たらぬこともある。心と言ってもその通りである。武士の”たましい”とか、日本魂とかいうとき、それを直ちに武士の精神または日本精神におきかえるわけにはいかない。同じところもあるが、魂の方はむしろ具象的に響き、精神は抽象性を帯びている如く感ずるのである。それは”たましい”は日本言葉で、精神は漢文学から来ているからかも知れない。すべて日本言葉には抽象的な、一般的な、概念的なものは少ないように思われるのである。”たましい”と言うと、何か玉のようなものがそこへ”ころがって”出るかのように感ずるのである。精神はむしろ縹渺としているのではないかしらん。「精神満腹」と言うと、だいぶ具体的で感性的ではあるが、それが自分等の目の前に”ころがり”出るようには感じられぬ。

 「時代の精神」と言うことがあるが、「時代の魂」ではなんだか尽くさぬようである。”たましい”は、やはり個人的であるのが本来の字義ではないのかしらん。シナでは精神は魂魄でも、日本では必ずしもそうでない。

 それから精神をいつも心と一つものにするわけにはいかないようだ。精神科学は必ずしも心理学でない。立法の精神が”どうのこうの”と言うとき、それをすぐに心にかえることもできない。この場合、精神には主張・条理・筋合いなどという意味も含まれている。

 言葉の詮索をすると、脇道へそれる恐れのないこともない。日本では元来の大和言葉のうえに漢文字があり、そのうえに欧米からはいって来た言葉に、多くの場合、漢文的訳字を付したので、今日の日本語なるものは複雑怪奇を極めていると言ってよい。大和言葉即ち日本文化が、独自の発達を遂げなかったうちに、大陸からの文化がその文字と思想とをもってはいりこんだので、我らはいかにも跛行的な歩みを続けなければならぬようになった。そこへ明治の初頭から、欧米の文化が狂瀾怒濤のように押しかけて来たので、何でもかんでも手当たり次第に文字を組み合わせて、それらを自分らの頭の中へしまい込むに、維れ日も足らずという次第であった。これは今日まで盛んに行われている実況である。それで精神は、”こころ”であっても”たましい”であっても、文字の組み合わせのうえで、語路が面白くないとかいうような理由で・・・有意識にまた無意識に、無闇な新熟語が文化の各方面にわたって製作せられた、またせられつつある。そうして一旦そんな熟語が出来上がると、そしていくらかのあいだ使用せられてしまうと、そこに既得権が出来て、容易に改められなくなる。多少の不便はあっても、また既成語が必ずしも妥当でなくても、その生存権はいつとなく固定していくのである。

 こんなあんばいで、精神の二字も多義を含むことになった。が、大体から言って次のような意味に用いられていると言ってよかろうか。


 日本精神などと言うときも精神は、理念または理想である。理想は必ずしも意識せられないでもよい。歴史の中に潜伏しているものを、そのときどきの時勢の転換につれて、意識に上せてくれば、それが精神である。日本精神というものが、民族生活の初めから”ちゃんと”意識せられてあるのでない、またいつも同じ様式で、歴史的背景の上に現出するのでもない。理想というと、将来即ち目的を考えるが、そして精神にはむしろ過去がついてまわるようであるが、事実の上では、精神はいつも未来をはらんで意識せられる。未来につながらぬ精神、懐古的にのみ挙揚せられる精神は生きていないから、実際は精神でない、子供の死骸に抱きつく母親の盲目的情愛にほかならぬ。日本精神は、日本民族の理想でなくてはならない。

 日本精神はまた論理性をもっている。理想はいつも道義的根拠をもっていなければならぬからである。

 精神的などと言うときは、物質的なるものと対蹠的立場にあるとの義にとられる、かならずしも宗教性をもったものとは限らぬ。

 精神家というのは、形式ばらぬ人のことである。杓子定規や物質万能主義などに囚えられないで、何か一つの道義的理念をもって、万事に当たらんとする人である。

 精神史というと、文化史と同一義にとられることもある、人間が自然から離れて自然の上に加える人間的工作の全般を、精神史の対象とする。思想史は、思想の方面に限られるので、精神史よりも狭いのである。

 つまるところ、精神が話されるところ、それは必ず物質と何かの形態で対抗の勢いを示すようである。即ち精神はいつも二元的思想をそのうちに包んでいるのである。物質と相克的でないとすれば、物質に対して優位を占めるとか、優越感をもつとかいうことになるのである。精神は、決してその中に物質を包むということはないのである。まして精神が物質、物質が精神だとかいうような思想は、精神の側からは決して言われぬのである。精神が物質と睨み合いしない場合には、前者は必ず後者を足の下に踏みつけているのである、或いは踏みつけてやろうという気合いを明白に面に現わしているのである。二元的思想のないところには、精神は居ないと言ってよい。ここに精神という概念の特異性を見出すのである。





(鈴木大拙)






< 日本精神主義 >




 日本主義・東洋主義乃至アジア主義・其他々々と呼ばれる取り止めもない一つの感情のようなものが、現在の日本の生活を支配しているように見える。そしてこの感情によって裏づけられている社会行動は至る処吾々の眼に余っている。而もそうした種類の社会行動は何か極めて意味の重大なものであるかのように、巨細となくこの世の中では報道されている。

 この感情に併しどれだけの根拠があるか、或いは寧ろこの感情がどれ程無根拠なものであるかは、之から見て行こうとする当の問題であるが、とにかくこうした感情が漲溢(ちょういつ)しているか或いは漲溢しているように信じられていることは、一つの著しい事実であって、この事実は政治的な意味から云えば、即ちこの事実が政治上想定されねばならず又は利用もされ得るだろうという点から云えば、極めて重大性を帯びたものであることは、今更ここに断る迄もないことだ。

 だが、元来、感情や感情に基づく社会行動は、要するに感情の資格と機能との外へ出ないので、そうした感情や行動がどれ程漲溢している事実があろうと、その理性的価値が豊富だと言うことには決してならないので、従って、この事実は論理的な意義から云えば、その重大さが至極乏しいものだと云うことを妨げない。

 吾々が良い批評家であるためには、例えば人物が問題ならば、前途有望な人物に限って批評の対象に取り上げるべきで、ヤクザな人物は特に意識的にネグレクトするだけの徳義を心得ていなくてはならない筈だが、併しこのことにも一定の必然性によってか、一時にしろとにかく何か相当の社会的影響力を有つ危険性がある時には、愚劣であっても時には遺憾ながら相手にしなければならない。

 で、日本主義・東洋主義・乃至アジア主義・等々の殆ど凡てのものは、進まないながら、吾々の批評の対象として取り上げられるのである。それは如何にも尤もらしく意味ありそうなポーズを示す。処が実はその内容に這入って見ると殆んど全くのガラクタで充ちているのである。日本に限らず現在の社会に於けるこの切実で愚劣な大きな悲喜劇のト書きを暴露するのは、吾々にとって、極めてツマラナない併し又極めて重大な義務にもなるのだ。

 併しこうした国粋主義(又はもっと忠実に説明すれば国粋拡張主義)の勢力は最近の日本に於いて初めて盛んになったのではない。幕末の国学運動から系統を引いているこのイデオロギーは、明治初期から二十年代にかけてまず第一に「欧化主義」に対する反対運動の形で著しく現われた。次にそれは日清日露の役を著しい契機として台頭した初期の無参者運動に対して、その反動イデオロギーとして目ざましい生長を新たにする。それから第三に世界大戦を境として起こったデモクラシー運動に対する反感として潜行的に可なり根強く発育したものである。それが世界危機の一環としての日本資本主義の<危機>に際会して、<満州事変>や<上海事変>の喇叭の音と共に、今は津々浦々にまでその作用を丹念に響き渡らせたものに他ならない。でこう跡づけて考えて見ると、国粋主義の横行は実は却って「国粋」の<危機>を物語るインデックスに他ならないわけで、国粋主義なるものは即ち自分自身を裏切ることをその本質とするもののことに他ならない。一般に之が反動イデオロギー「宿命」なのである。


 だが日本主義・東洋主義乃至アジア主義・其他々々の「ニッポン」イデオロギーが(ニホンと読むのは危険思想だそうだ)大量的に生産され、夫が言論界や文学や科学の世界にまで浸み渡り始めたのは、確かにこの二三年来である。ドイツに於けるヒトラー独裁の確立、オーストリアに於ける国粋運動、ムッソリーニのオーストリアに対する働きかけ、アメリカ独自のローズヴェルト産業国家統制、それから満州国建国と皇帝の登極、そしてわが愛する大日本帝国に於ける陸続として断えない国粋協力諸運動。こうした国際的一般情勢の下に立つことによって初めて、日本は最近特に国粋的に扇情的になったわけであった。無論わが権威ある国粋主義運動をこうインターナショナルに並べることは、一部の国粋主義者の気に入らないだろうが(「日本主義は西洋のとは違ってファシズムではない」と云われている)、併し一部の人間の気にいるようにばかりは事実は出来ていないのである。



 さて、現在の日本は全く行き詰っている、と世間では云っている。実業家や一派の自由主義者達はこうした流言に賛同しないかも知れないが、どこかで行詰っているから色々の愛国強力運動も発生するだろうし、又仮にそうでなくとも色々の愛国強力運動が発生することなく自身が少なくとも日本の行き詰まり他なるまい。ではその原因はどこにあるのか。この非常時という言葉は、この頃呪文としての効験を失って来たということを別にしても、この行き詰まりを解釈する言葉としては実は之は甚だ都合が悪い。なぜなら、どういうことが非常時ということかと尋ねて見れば、他ならぬ非常時の絶叫自身が非常時の原因だったということが判るからである。

 日本の日本主義者たちにとっては併し、事物の客観的な原因を理論的に穿鑿するというようなことはどうでもいい。いつでも説明は、俗耳に入り易い尤もらしささえ持っていればいいのである。例えば、この行き詰まりは「日本精神の本質をはっきり把握しない」ことから来る、と彼等は主張するのである(高須芳次郎氏「日本精神の構成要素」)。時の総理も議会で之と同じことを云っているから、この考え方の尤もらしさは相当信用して好いかも知れないが、併し一方首相は貴族院ではその言葉尻の説明を要求されていた。だがとにかく、日本の危機は日本精神の本質をはっきり把握しないことにその原因があるというのである。・・・中国ではシナ精神の本質をはっきり把握することに気づく者がいなかったために、<中共>問題や<上海暴動>が起きてしまった、というわけになる。

 ではこの日本精神の本質とは何か。高須氏によると日本精神の「構成要素」は、「生命創造主義的」なことや、「中正不偏」なことや、「輳合調和に長ずる」ことや、「積極的に進取膨張を旨とする」ことや、「明朗」なことや、「道の実行実践に重きを置く」ことや、凡そ想像し得る一切の善いものを網羅している。だが善いには善いとして、之は少し変ではないだろうか。生命創造主義的というのはどういう規定なのか判らないが、哲学で例を取ればベルグソンの形而上学は間違いなくこの名に値するし、中正不偏はイギリス精神としての政治常識だし、輳合調和の精神ではドイツの学術書などが模範的だし、積極的な進取膨張と明朗とは、夫々アメリカの建艦計画とヤンキーガールとが最も得意とする処である。それから、道の実行実践に重きをおくのは云うまでもなくソヴィエト・ロシア精神ではないか。日本精神がこういう外国精神から「構成」されているとすれば遺憾に耐えない。

 高須氏はそこで、「画龍点晴」のために、「日本国体に就いての自覚」を持ち出す。なぜ之が一等先に出て来なかったかが残念である。併し国体にしろ何にしろ、自覚するということは強制的に承認させたり、ペテンにかけて思い込ませたりすることではあるまい。日本の国体を自覚するには日本の本当の歴史の科学的な認識による他はないだろう。で高須氏達日本主義者は、どういう「日本主義的」な特別な歴史方法論を有っているのであるか。その点をもう少し世間に、或いは世界に施して悖らぬように示す義務があるだろう。

 処で「無我愛」の信心家伊藤証信は、どういう動機からか判らないが、「日本精神の真髄」という論文を書いた。一体日本精神は恐らく日本という一個の「我」にぞくするものなのだが、無我愛とこの日本の我愛とがどう結び付くのかと見ると、「日本精神」とは「真に日本の国を愛し、国民主義と国際主義との一致の道によって個人的にも国家的にも益々日本を本当のよい国に生長発展せしめるために命懸けで努力する生きた精神である」というのである。之は氏自らそこで云っている通り、日本人にだけしか行われない道などではなくて、アメリカ人はアメリカ人で、ロシア人はロシア人で、行なうだろう「普遍な道」であると云う他はない。なる程「無我愛」から云えば当然そう云わなければならぬだろう。併し一体、無我愛の立場からどういう必要があってわざわざ日本精神などというテーマを取り上げる気になったか、吾々に判らないのはその点である。日本が世界を征服してしまった暁には日本精神=即=無我愛となるという縁起ででもあるのか。

 併し、日本は決して世界を征服するのではないらしい。現に学習院教授紀平正美博士によると、日本精神とは「他人と合同調和」する精神から流れ出たものだというのである。今日では、一頃列強と呼ばれたブルジョア諸国がシナ分割を夢見た場合のような植民政策は実行不能になったから、他人を「合同」したのでは決して「調和」が保たれないということが世界の外交常識になっている。だからこの言葉は決して日本の世界征服を意味するものではあり得ない。「和平」を愛する国民が日本国民だとも博士はこの書物で云っている。それに西洋人の他人に対する態度はtake and give(とりやり)であるが、日本人のは「やりとり」だそうである。即ち伊藤証信氏流に云うと、日本国民が如何に無我愛的であるかが、この点からも伺い知ることが出来るわけだ。日本民族の隣人愛、即ち隣国愛は、シナ満州帝国に対するその友誼から見ても、もはや疑いのない処である。

 博士は処でこういう日本人の「日本精神」をどういうものと規定しているか。それは他ならぬ前に出ている例の「日本国民としての自覚」・・・我は日本人なり!!・・・だというのである。「日本国民精神」は「定義を以て其れを定めることはできない」・・・「三千年の歴史をその内容とする所のものをそう簡単に定められるものではない筈だ」。全くその通りである。併しこの三千年(?)の本当の歴史をはどういう風に研究されるべきかが先にも問題だったのだ。不敏な吾々は今日に至ってもまだ紀平式ヘーゲル(?)歴史哲学の真諦を理解できないのが遺憾だが、それはとにかくとして、三千年(?)の本当の歴史を科学的に書いて示して呉れないと、恐らく今の世間は、つい「三千年の歴史」を「簡単に定」めてしまうことにもなるだろう。

 金鶏学院安岡正篤氏の言葉は日本歴史の認識に就いて一種の暗示を与えるように見える。「日本民族精神の本領は三種の神器にいみじくも表徴せられたように、清く明るき鏡の心より発する智恵の光を磨き、勇猛に正義の剣を振い、穆たる玉の如き徳を含んで、遂に神人合一、十方世界を全身とする努力になければならぬ」。この心境描写は極めて美文的で従って抽象的であり、従って又、この日本主義が国粋的新官僚から最もよく親しまれ易い理由は判るが、歴史のリアリティーをこうした昔風な心境談に還元してしまうことが、古来事実日本民族の精神化とも思われる。だが要するに之は歴史ではなくて道徳的教訓か美文学に他ならないし、道徳的教訓や美文学にしても極めて原始的な夫に過ぎないのが遺憾である。

 事実、幼稚な文学は道徳律と別なものではないので、神話が正に夫であった。安岡氏によると、三種の神器は知徳勇を表徴するものであって、日本国土はただの自然的地理的土壌ではなく、<国生みの神>の眼から生れた「大八州」なのだから、「<天皇種族>」と兄弟の関係に立つのだと云った種類の説明が与えられる。こうなるとどうも、例の日本精神的な歴史認識の方法は、取りも直さず「神話的方法」だったと云う他はなくなり、日本精神は永久に止まるべきもののように受取られる。そうすると日本精神というのは進歩や発達をしないもので、進歩や発達の敵だという結論にも到着しそうである。

 以上のような次第で、「日本国民としての自覚」というものは、その実行の段階になると、今の処中々条件が具わっていないので、実は容易なものでないということだけが判った。が日本精神を理解するのにもう少し科学的な近道がありそうである。鹿子木員信教授は夫を「新日本主義」と名づけている。教授はまず第一に日本精神の成立が不可能でないことを証明する。博士は精神の「心ざし」を個性と考えているが、この個性=心ざしなるものは、空間的相違・気候風土・地理的差異等々によって程度の差を生じ、特殊具体的な構成を作ったものであり、それが国土によって異なる国民精神の発展様式の特殊性となるのである。だから日本には日本国民精神という特殊性をもったものが出来るわけだというのである。全くその通りで、日本国民が苟くも精神を持っている限り、「日本国民精神」が存在するということは、証明するまでもなく自明な理ではないかと思う。

 日本国民精神が発生し得ることは判ったとして、問題はその日本国民がどういうものかということだったのだ。処で博士は「新日本主義」的歴史哲学によって之を明らかにしようとする。博士は研究の結果を次のような要点に纏めている。自然の世界は「できごと」の世界であり、歴史の世界は「でかしごと」の世界である。この「でかしごと」の世界というのは行の・主体の・個性の・心の・世界である。だから歴史は「主体(精神)=行=心の上に立って認識されねばならぬ」というのである。之で見ると、「新日本主義」的歴史哲学とは、西洋の「唯心史観(?)」とあまり別なものでないらしい。西洋風だということが新日本主義の「新」たなる所以であるようだ。そしてGeschehenの代わりに「できごと」、TatとかTatsacheの代わりに「でかしごと」という「やまとことば」を使う点が、新日本主義の「日本主義」たる所以だろう。

 併しこの唯心史観は甚だ不統一な唯心史観で、例の大切な個性即ち日本国民精神自身は、空間・気候・風土・地理などの物質的なものの相違によって構成を得る、ということになっているから、折角の「でかしごと」も「できごと」から決定されているものであるらしく、西洋ではこういう歴史哲学をば、「新日本主義」と呼ぶ代わりに「地理的唯物論」と呼んでいるのである。

 処で意外なことには、どういう理由からか判らないが、西洋の地理的唯物論にさえ遠くはないこの新日本主義に立つ「日本国民精神」は、突如、「大君の辺にこそ死なめ」という意気で上代以来(天皇)を(君主)として紡ぎ営んで来た生活の原理であって、この生活のモットーは「義は即ち君臣、情は即ち父子」というシナの文人の好みそうな対句にあるという。かくて新日本主義は愈々「新」日本主義としての面目を明らかにするわけである。


 以上「日本精神」に味到した人達の見解に接して見たが、少なくとも今までに判ったことは、何が日本精神であるかということではなくて、日本精神主義なるものが、如何に理論的実質に於いて空疎で雑念としたものかということである。で日本精神という問題も日本精神主義という形のものからは殆ど何の解答を与えられそうもないということが判ったのである。文部省下に国民精神文化研究所が出来ても、『日本精神文化』という雑誌が出ても、又日本精神教会というものがあってその機関誌『日本精神』が刊行されても、そうした日本精神主義による日本精神の解明は当分まず絶望と見なくてはならないだろう。日本精神主義というのはだから、声だけで正体のないBauchrederのうなもののようである。




 どういう精神主義の体系が出来ようと、どういう農本主義が組織化されようと、それは、ファッショ政治諸団体の殆ど無意味なヴァラエティーと同じく、吾々にとって大局から見てどうでもいいことである。ただ一切の本当の思想や文化が、最も広範な意味に於いて世界的に翻訳され得るものでなくてはならぬ。というのは、どこの国のどこの民族とも、範疇の上での移行の可能性を有っている思想や文化でなければ、本物ではない。丁度本物の文学が「世界文学」でなければならぬと同じに、或る民族や或る国民にしか理解されないように出来ている哲学や理論は、例外なくニセ物である。ましてその国民その民族自身にとってすら眼鼻の付いていないような思想文化は、思想や文化ではなくて完全なバルバライに他ならない。






(戸坂潤)