< 眼下の日本仏教 >




 無学なる僧侶か、熱狂的なる信徒を除いては、恐らく誰人も現下の日本仏教についてよき感情をもつものはない。現下の日本仏教ほど変態的なものは二千五百年の仏教史上に稀に見る所である。私共は満腔の憤慨をいま胸に抱いている。いかにしてかかる現状を救済すべきやの一事に心をいらだたせている。されば私共はこのよき機会によって広く社会の人々と共にこの問題についての考察を与えたいと思う。


 この考察を正しく与えんがために、私共は先ず仏教の根本思想がいかなる変化の形式をとって、現下の如き仏教状態を現出せしめたかの史的展開について一言せねばならないであろう。この史的変化を叙述することによってのみ、仏教の根本思想と現下の日本仏教との関係を明らかにすることが出来る。今便宜上その史的変化を、仏陀観の変遷史と、その思想の変遷史と、寺院僧侶の変化した歴史との三つに分類してみようと思う。




一、仏陀観の変遷史


 仏陀とは、釈迦の体験せる精神内容、精神的醒悟である。本書の言葉を引用するならば、完全なる認識と、無上の発展状態に到達せることを意味する。仏陀とは一つの精神的状態を示し、更にこの意味からしてこの状態に到達せる人、即ち「覚悟せるもの」を示す。釈迦はこの意味に於いて、「仏陀」となった。仏陀には誰人もなりうる能力は具備されてはいるけれども、不断の努力と不撓なる奮闘によらずしては、決して体験しうるものではなかったのである。


 然るに、「仏陀」を実現せる釈迦も人間の逃れがたき運命に支配せられて、八十の高齢を以てクシナーラ町に死なれた。この仏陀たりし釈迦の死こそが、「仏陀」たる意味を変化せしめたのであった。師を失える釈尊の弟子達はその追恋の思いを慰めるために或いは釈迦の遺物を崇拝し亡き恩師の死骸の一部を塔婆の中に収めて渇仰の思いをやったのであった。あるものは仏陀たりし釈迦はよしここに死滅せられたとは言え必ず無窮なる実在に合一せられたにちがいないと主張した。かくして仏陀観は漸次その本義を失って、あるものは迷信的なる遺物崇拝となり、あるものは又形而上学的のつめたい範疇に入れられてしまった。


 然し正統なる弟子達は、釈迦によってこ遺されたる教説と、釈迦によって創設せられた僧園の規律生活の中に、「仏陀」の意義を保存したのであった。仏陀を以て抽象的の精神状態とするよりも、むしろ歴史的なる釈迦として帰依することを忘れなかった。然るに、時代の経過すると共に、この歴史的仏陀はその価値を失い、哲学的仏陀と魔術的仏陀とのみが漸次勢力をもつようになった。


 かくして釈迦の滅後数世紀にして、一人の仏陀は数多き種々なる形相をそなえるにいたった。哲学的仏陀は当時の印度の神話をかり来つて一方に人格的仏陀たる阿弥陀仏、大日如来となり、当時の哲学思想をとり来つて本仏や毘廬舎那仏を産出した。かくして相複雑せる諸仏の神話を形成するに至った。釈迦一人に実現せられたる仏陀は至る所に、種々なる組み合わせと、異なった立場によって無量無数の千仏万仏を造るに至った。


 一方、魔術的仏陀は印度在来の秘密的儀式と結合して、不可思議なる民間信仰の対象として崇敬せらるるに至った。ここに於いては厳粛なる仏陀観は堕して幽冥界の主人公となり幽霊魔術と同一にせらるるに至った。


 かかる思想上の変化をうけたる結果は、いま我ら日本仏教徒が仏陀に対してもつ所の概念である。「ほとけ」とは日本に於いて何を意味するのであるか。「ほとけ」と言えば我らは直ちに死を想い起こす。死者を「ほとけ」と言う。果して死者はほとけであろうか。上下何の疑惑もこれに対して起さないのはいかなるわけであろうか。「ほとけ」は仏陀である。精神的自覚者である。全生命の発展者である。充実せる認識界である。どこに「死」と関係があるのであるか。仏陀はこの生命の上に体験せる大なる光である。全分の「いのち」である。(何と死と反対した意味をもっていることよ!)


 死者は断じてほとけではない。かかる誤謬を生じたのは、前述の如き魔術的仏陀の思想の所産である。されば我らは先ず今日よりかかる誤謬の甚だしき言語を使用しないことを努力しようではないか。我らはあくまでも、この仏陀の原始的意義にかえらねばならぬ。「知らぬが仏」と言い、「ほとけ様のようだ」と言う言葉が示す、「ほとけ」の概念も又原始的意義から、かなりに離れている。仏陀は完全なる認識者であって、無智ではない。仏陀は厳乎たる生活であって、決してお人善しではない。


 現下の日本佛教が無生命である事はこの一個の言葉についても知る事が出来る。我らは断言するいかなる宗旨にもせよ、いかなる場合にもせよ、「ほとけ」は仏教の理想を示す唯一の旗幟である。仏教の中心生命はこの一句の解釈にある。然るに、その根本たる概念が全く一個の幽冥界の主人公に非れば、哲学的の概念か、人格的の神話的存在にすぎないと言うことは、蓋し仏教の自殺である。仏陀は常に精神的体験の崇高なる内容でなくてはならない。無窮に我らの生活の唯一目標でなくてはならない。


 今や日本仏教はその原始的意義に立ち戻るべきである。再びその原始的生命によって復活すべきときである。「ほとけ」は天上にもない。「ほとけ」は浄土にもない。世界の以外にも勿論ない。「ほとけ」とは我らの前に自由に体験せらるべく用意せられている一つの精神的状態にすぎない。完全なる認識と発達とを標示する一つの目標にすぎない。即ち、それを実現せる人間釈迦は我らの修道の唯一の鞭撻者たるにすぎない。「ほとけ」を生命の上に、自己の内奥にさぐり求めよ。つよき直観的認識によりて、内在的の仏性にふれよ。




二、思想変遷史


 釈迦の言説は彼の死後間もなく結集せられ出した。世紀前三世紀、印度に文字が発明せられるや漸次経・律・論として編纂せらるるに至ったのである。俗に小乗経典と称せらるるもの是である。その内容はこの書が論ずる所である。


 然るに世紀前後に至って、この純粋なる釈迦の思想は甚だしく変化せられんとした。勿論釈迦の滅後久しからずして、多少の自由な見解が起こったのではあるが、未だ仏教の中心的思想の変化ではなかった。然るに滅後三四百年頃より台頭し来れる自由思想は、大乗の名の下に、全く小乗に対立して独立的態度をとったのである。


 大乗的仏教の成立の要素は果して何ものであろうか。言うまでもなく、その一部の思想は釈迦の教える所であったにちがいないが、然し、それは又余りに釈迦に反対する思想をも混入していた。即ち、常時の一般思想の多くを摂取したことは疑いなき事である。


 されど、大乗仏教は当時余り隠遁的傾向をもった正統派の仏教に対して、信者中心の民衆化を行なったことは確かである。従って仏教は一般に民衆的たると共に、民間迷信の分子を多量に混入し来ったことは明かなることである。「多誦無益事、喩算牛頭数」として経典の読誦を禁ぜられた釈迦の思想は、今や経典読誦の無量の功徳を主張するに至った。内容が不明であろうとも、只音声を以て読むことに功徳ありとするに至った。自己のみが自己を救済するものであって、決して何者にも帰依する勿れと教えた仏教は、今や、礼拝、供養、讃嘆、信心などによって救済を願うに至った。魚肉を殊更に禁ずることをしなかった初期仏教は、今や、不食肉を以て精進なりとするに至った。


 大乗仏教は釈迦の思想とは往々にして矛盾する。更に仏教が支那に入るや、西域支那の民族的思想は益々仏教の思想的意義を失って、祖先祀祠の思想と混同して、全く仏陀の思想にもとるようになった。今日日本に流行する仏教の殆んど大部分は、この大乗的流派に属し、しかも殆んど支那的傾向を伝えている。延命、除厄の思想の如きは重に支那思想にその源を仰いでいる。


 従って、念仏を唱うる事によって西方浄土に生まれんとする浄土教の思想の如きは、全く釈迦の與り知らざるものである。その経典の如き釈迦の滅後百年にして無名の作者によって作られたのである。歴史的釈迦の外に無量の存在たる本仏が存在し、我らも直ちに又仏陀たりと主張する法華経の如きも、釈迦の知らざる後世の作品にすぎない。目下、日本に流行しつつある日蓮宗の如きはかかる経典の題目たる「南無妙法蓮華経」を唱えることによって救済せらるると説明する。真言宗の如きも、印度古代に流行せる秘密的儀式を行いて、この身体の上に直ちに仏陀を実現せんことを主張する。禅宗律宗の根本精神を除いては、今や日本仏教は釈迦の全く説かざる思想を、仏教なりとして宣伝しているのである。今や日本の仏教は、むしろ仏教と言うべき資格をさえ失っている。


 世人往々にして、何故に一人の釈迦にかかる多くの宗教を生じたかを訊ねる。誠に現下の日本仏教のすべてを釈迦に帰一せしめんとするは不可能である。ある宗は釈迦を後にして阿弥陀仏を先にする。ある宗は釈迦の存在を言う前に大日如来を主張する。今や日本の仏教は釈迦を必要とせざる思想の上に立脚する。名は仏教であって、実は異端外道とその談を同じうする。日本仏教の生命なき所以まとこにここに存在する。


 私はここに心から叫ばんとする、今や日本仏教は直ちに印度の釈迦に立ち戻るべきである。すべての道途上の混淆を去って、偏に釈迦の生命に還元すべきである。すべての各宗の思想を、釈迦の原始的思想によりて復活せしむべきである。勿論、各々の思想上の特色をなす立脚地もあろうけれど、仏教たる以上は必ずや釈迦の思想と根本に於いて矛盾してはならない。釈迦が禁酒を主張した以上、仏教たる以上は飲酒をすすめてはならない。釈迦が自力的努力を生命とした以上、各宗は常にその方法論に於いて是と一致しなくてはならない。若し、釈迦と全く矛盾する思想であるならば、いかにして仏教と呼びうるであろう。


 ルーテルがヘブライの原典に立ち戻った如く、我らも先ず印度に帰らなくてはならぬ。深く釈迦の思想を研究しなくてはならぬ。今や日本仏教を救うものは、その思想的先例を与えるものは、只釈迦の原始的仏教のみである。今や我らは従来小乗とさげすまれたる崇高なる教説に対して敬虔なる研究をなすべき時である。この意味に於いて私は読者諸氏がどうか、先ず仏教の原始的思想を研究して下さることを切望する。




三、寺院と僧侶とについて


 現下日本の寺院は一体いかなる場所であるか。又僧侶はいかなる職業であるか。私は僧伽の歴史を知る前にこう諸君に聞きたい。諸君は何の躊躇もなく、その葬儀法要と読経生活とを教えられるであろう。


 然し寺院は果してそんなものであろうか。只死骸の取り扱い、遺骨の保存をなす所であろうか。私は断言したい。釈迦は僧園に死骸を運搬することを禁じられた。その不浄なることは大小の不浄の如しと言われた。釈迦の一生、その他古代の僧徒の記録に中に、我らは果してかかる死骸の取り扱いを業務とするものを発見しうるであろうか。然るに寺院は今やこのこと以外に何の用をもなさない。死骸を嘗めなくては生活が出来ないのだと言われている。何とあさましい商売であろう。


 釈迦当時の僧園、即ち伽藍の生活はどうであったろうか。寺院伽藍はただ僧侶の止住するところ、修行者のいそしむ所に外ならなかった。伽藍所有の田端と毎日午前の托鉢は僧侶の生活を充分に保証していた。かくして寺院は何らの営業投資を許さなかった。後世寺院が儀式的祭儀を行なったことがあったが、未だ葬儀業を開始したものはなかった。然るに徳川幕府の寺院政策は遂に僧徒をして本来の桎梏の間に苦ましめ、漸次その経済的必要より葬儀を専業とするに至った。少なくとも、寺院は正法弘宣、正法久住の聖地である。精神的文化は必ずやこの僧園の中に輝き出でねばならない。然るに、今や寺院の建築はただ葬儀とその追回とのために用いられるにすぎないと言う事は我らの心から悲しむ点である。


 次に僧侶を考察してみる。今や日本の僧徒は殆んどその多くは日夜に読経している。然らずんば安逸をむさぼっている。読誦経典とはいかにも宗教的であるように思われるこれども、それは内容のない無生命な、ただの賃銀的生活に過ぎない。経典の内容の知らない無学の僧侶は、ただ幼年時代から習い覚えた通りを可成早く読む。外のことを思いながらいやいや読む。檀家のものは雑談を交えたり煙草を吸ったりして長い経典をかこつ。


 一体読誦することは何の功徳があるのであるか。功徳とは抑々何ものであるか。経典の内容を知らずして読み、知らずして聞き、しかも功徳ありとせば、たしかにこれは魔力崇拝である。明かなる迷信である。音声に神秘力を見出せる印度人一般の信仰であったのである。かくして僧徒は一生声をからして彼の所謂三界の大導師たる聖務を終わる。


 僧徒とは交換労働なくして任意に与えられ、ささげらるるものである。かくして僧侶は人生の最も忌むべき死骸を取り扱い、無意味なる経典を歌うことによって、あさましき一生を終りゆくのである。食うために読経し食うために寺院に生活しているにすぎない。彼らは僧侶を以て一個の職業だと思いあやまっている。


 釈迦当時の歴史をみるに、僧侶には何等の職業がなかった。種々なる職業と財産とを抛(なげつ)った人々の集団であった。彼らはただ宗教生活を営んだのみであった。彼らは何等の交換労働なくして四方の檀越からその生活を保障せられる。彼らの生活を保障してあげたいと言う思いが檀那としてあらわれてくるのである。僧侶はただ自己の修道に忠実なればそれでいいのである。読経などはただ自らの理解のため、他人の理解のためにのみ役立つものであって、何らの魔力をもつものではない。


 日本仏教の僧徒をみるとき、我らは心からの憤慨と焦慮とを感ずる。今や我らは僧侶寺院が原始的の真実の意味に立ち戻らんことを切望する。私はこのことのためにあらゆる迫害を偲んで今奮闘しつつある。読経せぬ僧、葬儀をせぬ寺の建設に一生をささげんことを覚悟している。この目的を成就せしめんためには、読者諸氏が先ず私共と一つ心になって、先ず寺院に葬儀の執行を要求せず、僧侶に交換労働を要求せずして、布施するようになっていただきたいと思う。共には勿論、現下の僧侶が自ら奮い立って、自己の真実なる生命にいそしむことを前提とせねばならないのである。


 私は一人の僧侶である事を断言する。しかもわざわざ財産を投げ打って僧侶になったことを確信している。従って私にとって寺院は経済的対象ではなく、僧侶である事は何らの経済的関係がない。私は断然自らのための読経を中止し、否定した。私は早晩自分の住んでいる寺を葬儀をせぬ寺にしようとしている。かかる本質的ではないものを除去せるとき我らには自由なる時間と、平安なる生活が生ずる。読経なくして布施は自分の上にめぐまれ来る。私にとって、交換的労働なくして与えらるる財宝は布施である。与えらるるのみならず、私は大膽に要求することをさえする。私は受くるに大膽にして自ら節するに厳でありたいと思う。私はどうか近い将来に、多くの人々と共に真実なる僧園をつくりたいとのみ思い耽っている。


 今や、僧伽はその原始的意義に還元すべきときである。すべての形式を離れて、正しき本質に立ち帰るときである。私は勿論、妻子をもっている。それ故に、比丘として生活を辿ろうとするのではない。ただ至心に僧園の一人としての本義を実現してみたいと思うのみである。若し、この念願にして成就しないならば、私は寺を去って兄の家に帰るのみである。然し、私は確信する。この私の切なる念願は正直である以上、必ずその目的を達しないではいないであろう。




 以上、私は仏陀観と思想と僧園との三つについてその原始的還元を提唱した。今や混乱し頽廃せる日本の仏教は、釈尊の原始生命に還元することによってのみ、真実の価値を復活し来るであろう。願わくば、読者諸氏と共に私共は現代の仏教をして、真に現代人への宗教たらしめんために、純化せしめ、蘇生せしめ、生命づけて行きたい。



(大正十一年三月六日未明 友松圓諦)