< 仏陀に還れ >




 千古解けない白雪に覆われ、常に光顔巍々として雲表に聳える雪山の秀峰と、ここに源を発して、万里洋々として尽きない恒河の碧流とは、インドの偉大を表象する自然的霊奇である。しかし、これらは共に地理的制限に拘束せられて、ただインド国内の霊奇たるに止まるが、今より約二千五百年前、カビラ城の釈迦族の間に、その威儀よりも崇高、その思想は恒河よりも清澄なる故を以て、今や東西両洋を通じて、世界的霊奇として仰がるる一大人格が出現したのである。これ即ち大聖釈尊であることは言うまでもない。実にインド民族が斯かる世界的霊奇たる大聖を出したことは、彼等が朝に巍々たる雪山の雄姿を仰ぎ、夕に洋々たる恒河の清流を掬し得るよりも、遥かに意義深い光栄として誇るに足ると言ってよい。


 わが国は釈尊の出生地を去ること数千里外にあるとはいえ、幸いにして夙にその霊化を被り、現にお釈迦様といえば、われ等に最も親しい聖者として、一般民衆に知られているばかりでなく、三歳の童子といえども、その名を口にするほどである。かように、釈尊が普くわが国の人口に膾炙せられているにも拘わらず、釈尊を真に理解している人の少ないことは、まことに遺憾の極みと言わねばならぬ。今更言うまでもなく、苟くも仏教である以上は、釈尊の思想及び生活を根基とせないものはないのであるから、如何なる仏教宗派であっても、その根本精神を理解するためには、どうしても先ず釈尊について精確な智識を持つことが必須条件となるのである。然るに、釈尊の滅後、年月を経過するに従って、仏弟子達はその教主を崇敬渇仰するあまり、その偉大なる点をして愈々偉大ならしめ、その聖なる点を益々聖ならしめようとする人情の自然に駆られて、釈尊を中心として幾多の怪異神秘な伝説を構成し、遂には到底地上に出現した覚者とは想われないような伝記を作り上げたのである。かくて、釈尊の人格及び思想の実相が久しく覆われるに至り、これが為真正の仏教に参徹することが困難となったのである。


 ところが、近年キリスト教国の泰西学者の真摯な研究的努力により、釈尊の人格及び思想の真相が闡明にせられるようになったことは、実に不思議の因縁といわねばならぬ。西暦第十八の末葉、英国が純仏教国たるセイロン統治の実権を握るや、英国政府はその植民地に於ける伝統的政策を適用して、この地の仏教徒を懐柔する方針を取った為、この地に駐在した英国の官吏及び宣教師は、進んでこの地の仏僧学者と交際を結び、その間に彼等を通じて仏教の何たるかを理解して、自ら仏教に対する興味と同情とを喚起するようになったと同時に、聖典の翻訳、教理の研究に従事し始めたのである。而して彼等の翻訳研究が欧州に於いて発表せらるるや、今まで倫理的宗教といえば、キリスト教にのみ限るもののように考えていた泰西学者に一大衝動を与え、ここに英国の学者ばかりでなく、ドイツ・ロシア・フランス・アメリカの学者間に仏教研究の機運が醸成せられ、彼等は相競って、近代の科学的方法を以て、仏典の材料を巧妙且つ精確に運用して、以て釈尊の生涯教説及び教団を中心として研覈し、既に光彩陸離たる成果を挙げるに至ったのである。かかる泰西に於ける仏教研究の風潮に刺激せられた我が国の仏教学界にもまた、従来の訓古的煩瑣学風に囚われず、西洋の科学的研究法を採用する新進の学者輩出し、最近三十年間彼等の苦心研究の結果、今日では欧米の学界に優るとも劣らないほどの立派な成績を発表し得るようになったのである。


 かくして、東西学者の研究の進歩につれて、釈尊の人格が当時の仏弟子を始めとして、一般世人から超人的のものとして讃仰せられたほど崇高であり、その円満なる点に於いては、地上に出現した歴史的人格中最も勝れていることが愈々明瞭となり。またその教説は一切の独断を排斥した正当な認識論に立脚したものであり、人生世界に対する正見に基づいて、一切人類があらゆる苦悩束縛から解放せられて、絶対自由の精神生活を体験し、凡夫的人格を解脱して、理念的最高人格を実現すべきまことの道を開示したものであることが益々確実となって来たのである。要するに、釈尊の教説が合理的倫理的であって、徹底的人格主義、徹底的利他主義、現実肯定主義に立脚せる理想的宗教であることが、科学的研究法によって、確実に証明せられたのである。釈尊の教説が既に斯くの如くであったとすれば、現今の仏教宗派の教義信仰中に根本仏教の精神に逸れたものが絶えてないと果たして断言し得るだろうか。すでに一部の我が仏教徒によって叫ばれているように、現在のわれ等仏教徒は一度釈尊に還る必要に迫られておりはすまいか。まず釈尊に還って、その根本精神を正当に理解した上で、更に仏教各宗派の教義信仰を見直すことが、わが仏教界にとって、目下の急務であると信ずる。蓋し、これが仏教各宗派を真に復活せしむる唯一の道であるからである。




(昭和三年 羽渓了諦)