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 前世紀前半に活躍したドイツのあらゆる音楽家の前で、ヨーハン・セバスティアン・バッハの名はいとも高貴な光を放っている。かつて和声について考えられ、実例として提出されたすべてを、彼はニュートンのごとき精神で総括し、その根底をあますところなく掘り起こしたので、まさしく彼こそは、今日まで有効な真の和声法の律法者とみなさねばならない。

by 『一般音楽新聞』(1801年1月)に掲載された記事より




 あなたはセバスティアン・バッハの作品を出版なさるつもりとか。私の心はこの和声の父の高く偉大な芸術にすっかり傾倒しているので、それはまことに喜ばしいことでして、その計画がはやく軌道に乗るのを見たいものです。やがて金色の平和(対仏戦争の終結)が告げられるのを耳にし、あなたが予約募集を始めたらすぐさま、私もいくばくかを寄金したいと、今から希望しておきましょう。


 先日親しい友人のところへ行ったら、不滅なる和声の父の娘を援けるために集められた金額を教えられて、その父親のゆえに私にとって尊敬すべきこの人物にドイツが、とりわけ諸君のドイツが感謝して贈った、その金額の少ないことに驚きあきれたしだいだ。そこで考えたのだが、この人物のためになるように私が何かを予約出版して、毎年はいってくる金にいっさい手がつけられないように、それを公の機関に供託したらどうだろう。このバッハが亡くなる前に、この小川(バッハ)が涸れはてて、その水がもう飲めなくならないうちに事がはこぶには、どうすればいちばんいいか、急いで返事をしてほしい。


 音の組み合わせと和声とのあの無限の、汲み尽くしがたい豊かさのゆえに、彼は小川(バッハ)でなくして大海と称すべきだ。

by ベートーベェン




 まことこの機会に思いだされるのは、ベルカのすぐれたオルガニストのことです。というのは、わたしはそこで、外的なものに気を散らされることなく、やすらぎきった心で、きみたちの大巨匠の何たるかをはじめて理解したのでした。わたしはわれとわが身に言ったものです。まるで永遠の調和がそれ自体と語りあっているかのようだ、たとえば天地創造をまぢかにした神の腕のうちでおこったかもしれないように、と。わたしの心にもそんな動きがおこり、まるで自分が耳も、ましてや目も、さらにはその他の感覚ももたず、また、それらを必要ともしないかのように思われたのです。

 音楽は、外にむかってはたらきかけるための力強い第一歩をふみだすや、われわれが生まれもつリズム、つまり歩みや踊り、歌声や歓声を強力にかきたてましたが、しだいに、トランス・オキシアナ的なもの(通称トルコの軍楽)あるいはヨーデル、あるいは鳥たちの愛の誘いへと迷い込んでしまいました。

 しかしやがて、もっと高い文化がはいってきて、純粋なカンティレーナがやさしく人を魅了し、しだいに和声的な合唱が発展し、かくて、展開されたすべてのものがふたたびその神的な根源に帰ろうとつとめるのです・・・。

by ゲーテ




 教会音楽という、この根本的な宗教音楽は、そもそも芸術が生みだしうるもののなかで、もっとも深く、もっとも作用ゆたかなもののひとつである。それは、司祭がおこなう共同体のための祈願に関係するというかぎりにおいて、その本来の位置を”カトリック”の祭式のうちに見いだした。ミサとして、またそもそも、多種きわまりない教会行事や祝祭を音楽的に高揚させるものとしてである。プロテスタントの人々もそのような音楽をもたらした。それは、宗教感覚からいっても、創意と仕上げの音楽的な堅実さや豊かさからいっても、このうえない深味をもっている。たとえばだれよりもまず、一人の巨匠たるセバスティアン・バッハがそうであって、その壮大で、真にプロテスタント的で、しんのしっかりした、それでいていわば学のある天才性は、近頃になってようやくまた完全に評価されるようになった。by ヘーゲル




 今週、神のようなバッハの、『マタイ受難曲』を三度、そのたびに、おなじような測り知れぬ驚嘆の念をもって聴きました。キリスト教をすっかり忘れ去った者が、ここではほんとうに福音を聴く思いがするのです。これは、禁欲を思いおこさせることなしに意志を否定する音楽です。


 セバスティアン・バッハ・・・バッハの音楽を、対位法やあらゆる種類のフーガ様式について利口になった完全な通として聴くのでないかぎり、したがってまた本来の技芸的な楽しみは欠かざるをえないかぎりにおいて、われわれは彼の音楽を聴くとき、(ゲーテとともに壮大な言い方をすれば)あたかも”神が世界を創造する”ところに居合わせるかのような気持になるであろう。すなわち、そこでは偉大なものが生成しつつあるが、まだ存在はしていないことを感じるのだ。偉大なものとはすなわち現代の”偉大な”音楽である。それは、教会と国籍と対位法を征服することによって、すでに世界を征服した。バッハにはまだ、なまのキリスト教性、なまのドイツ性、なまのスコラ哲学が、あまりにも多くありすぎる。彼はヨーロッパ(近代)音楽の敷居に立っているが、そこから中世をふりかえっているのである。


 今日、劇場で拍手喝采した者は、明日、それを恥じるであろう。なぜなら、家にはベートーヴェン、バッハという祭壇があるからだ。・・・そこでは記憶も色あせるのである。


 不当になる必要もないし、また、ルターその他のような人たちがもっている純粋さと私欲のなさを一芸術家に要求する必要もない。しかしそれでも、バッハとベートーヴェンからは、もっと純粋な自然が光り輝いている。ヴァーグナーにおいては、恍惚としたところがしばしば暴力的で、充分にナイーヴでなく、おまけにそれが、強いコントラストによってあまりにも強くきわだたせられている。

by ニーチェ




 ドイツ精神の驚くべき特性と力とその意味とを、比類なく雄弁な姿のうちに把えようと欲するなら、音楽における奇跡たるセバスティアン・バッハの、謎と言う以外にほとんど説明しがたい現象に鋭く細心な眼を向けるがいい。ドイツ民族の光がまったく消え失せたあの恐ろしい世紀において、彼こそはドイツ精神の最も内的な歴史そのものである。気違いじみたフランス風の長い鬘に隠されたこの頭、憐れなカントルやオルガニストとして今ではほとんど名も知れないチューリンゲンの村々のあいだを移動し、収入の乏しい地位によってかろうじて生計を立てた巨匠、その作品が忘却の淵から救い出されるのにまるまる一世紀を要したほど軽んじられていたこの巨匠を見るがいい。音楽においてさえ、彼が眼にした芸術形式は外見上から言えばその時代の完全な写し絵で、それは潤いを欠き、硬直し、杓子定規であり、あたかも鬘や弁髪を音符で描いたもののようであった。だが、理解を絶して偉大なセバスティアン・バッハが、こうした要素からいかなる世界を築きあげたかを見るがいい!この創造について、私はただ言及するにとどめよう。なぜなら、その豊かさ、その崇高さ、そしてすべてを包含するその意義は、およそいかなる比較によっても形容しがたいからだ。ところで、詩や哲学の分野にも見られるドイツ精神の驚くべき復興を説明しようとするなら、真のドイツ精神とは何か、それが世の中から完全に消え失せたかに見えた時代にそれはどこにとどまっていたか、またそれは困りはてたすえどのようにして再び自らを形成していったか、そうしたことをバッハにおいて理解したときにのみはっきりと説明できるのである。この人物について最近一つの伝記が出版され、『一般新聞』がそれについて報じている。私はその記事から次の個所を引用せずにはいられない。「辛苦と稀にみる意志の力をもって、彼は貧困と窮乏から脱して芸術の最高の高みへと昇り、当時の最も見事な傑作をほとんど測り知れないほど数多く生み出した。だが、時代は彼を理解し評価することができなかったので、彼は激しい苦悩に打ちひしがれて孤独と忘却のうちに世を去り、その家族を貧困と窮乏のうちに残したのであった。一家の窮乏が葬式の歌のための支出さえ許さなかったため、この歌に満ちた人物の墓は、疲れはてた故人の上に歌も奏楽もなしに閉ざされた。わが国の作曲家たちの伝記がきわめて数少ないのは、彼らの終わりが一般に悲惨で痛ましいものだという事情に、原因の一半があるのではなかろうか。」そしてこのことが偉大なバッハ、ドイツ精神の唯一の砦であり唯一の再生者たるバッハの身に起ったとき、ドイツ諸候の大小の宮廷には莫大な犠牲を払って贖われたイタリアのオペラ作曲家や名演奏家が群がり、今日では一顧の価値さえない芸術の屑を、蔑まれたドイツ全土に撒き散らしていたのだ。

by ヴァーグナー




 バッハの音楽において人を感動させるのは、旋律の性格ではない。その曲線である。さらにしばしばまた、多数の線の平行した動きだ。それらの線の出会いが、偶然であるにせよ必然の一致にせよ、感動を誘うのである。こうした装飾的な構想に、音楽は、公衆が感銘を受け心象をいだくようにはたらきかける機械のごとき確実さをもたらす。

 なにか自然でないもの人工的なものがあるかのように、考えないでいただきたい。どこまでもその逆で、歌劇がたててみせるいじましい人間的な叫びより、もっと<真実な>のである。とりわけ音楽はそこでそのあらゆる高貴さを保ち、<音楽がなによりも好きだ>と言われる人たちに特有な感傷癖があれこれもちだす要求にこたえるための妥協や譲歩は、けしてない。もっと誇りをもって、彼らから、たとえ熱愛でないにしても尊敬をかちとるのである。

 バッハを、<口笛でふく>のはおよそ聞いたためしがないということに、だれしもすぐ気づくに相違ない・・・この口腔の栄光は、ヴァーグナーにはさきざきも欠けることがないだろう。大通りで、音楽の留置場からぜいたくな囚人が出所する時間に、「春のうた」とか「マイスタージンガー」の出だしの”ふし”とかを調子よく<口笛でふく>のが、たまたま聞こえることがある。多くの人にとってまさしくこれが音楽に約束された栄光であるのを、私はよく知っている。にもかかわらず、そう奇をてらわずに反対の意見であることも許されるのである。

 この装飾的な構想がすっかり見られなくなってしまったことを、つけ加えておかなければならない。音楽はまんまと飼いならされてしまった・・・やれやれ! それは家庭に役立つ事柄となる。子供を何にしたものかわからないと・・・華々しい技師の道が、遺憾ながらふさがりはじめているので・・・家庭は子供に音楽を勉強させる。いつも凡庸な音楽家がまた一人ふえるだけのはなしだ・・・ときとしてだれか天才をもった男が伝統のきつい軛を振りおとそうとすると、人びとは嘲笑のうちに彼を溺れさせる手はずをととのえる。そこでかわいそうな天才は、きわめて若いうちに死ぬ決心をする。そしてこれこそ、彼が多くの励ましを得るただ一つの意思表示なのである。

 ・・・音楽のすべてを内にもつ老バッハは、信じてほしいが、和声の公式を軽蔑していた。それよりも響きの自由なたわむれのほうを、彼は好んだ。そのたわむれの曲線は、平行して動くにせよ反対の向きにくいちがった動きをとるにせよ、彼の数かぎりない楽譜帳に書きこまれた最小のものをも不滅の美で飾る思いがけない開花を導いた。<ほれぼれするアラベスク>が花を咲かせ、そして音楽が自然の総体の動きのなかに書きこまれている「美の法則」とかくて力をあわせた、そんな時期であったのだ。


 天才は、あきらかに趣味なしではすますことができる。例、ベートーヴェン。しかしその逆の例もある。ひけをとらぬ天才に、最も繊細な趣味を加えもつ、モーッアルト。もしセバスティアン・バッハ・・・仕事にかかるまえに音楽家であれば凡庸さから身をまもるべく祈りをささげねばなるまい、好意にあふれた神バッハの業績に私たちが目をむけるなら、つい昨日書かれたように思われる個所をいたるところに見出せるそのはかり知れぬ数の作品、うつり気なアラベスクからあの宗教的は表明にいたるまで、今日なお凌駕するもののないその作品に、趣味のひとつのあやまりも探すだけ無駄であろう。

by ドビュッシー




 芸術家のうちには主観的芸術家と客観的芸術家とがある。前者にあっては、芸術は個性のなかにある。彼らの制作は、彼らの生きる時代からほとんど独立して行われる。彼らは、みずからが法則なので、身をもって時代に逆らい、自己の思想を表現すべき形式を新たに作り出すのである。リヒャルト・ヴァーグナーはそういう芸術家だった。

 バッハは客観的芸術家たちの一人である。彼らはまったくその時代のなかに立ち、もっぱら時代の提供する形式と思想をもって制作する。眼前に見いだす芸術的表現手段になんらの批判をも加えず、新しい道をきりひらくという内的なうながしを感じない。彼らの芸術は彼らの生活と体験を唯一の地盤としているのではなく、したがって、われわれは彼らの作品の根源を作者の運命の中に探求する必要はないのである。彼らにあって芸術家としての個性と人間としての個性とは独立的に相対し、前者は後者をほとんど偶然的なものとして従属させている。バッハの作品は、もし彼の生活が実際とはまったく違った経過をたどったとしても、いまあるものと同一だったであろう。かりに、彼の生活についてわれわれが実際に知っている以上に知ったとしても、また、彼の書いた書簡がすべてわれわれに伝えられていたとしても、われわれは彼の作品の内面的な成立について、いま以上に通暁することはないであろう。

 この客観的芸術家の芸術は非個性的なのではなくて、超個性的なのである。まるでこの芸術家は、眼前に見いだす一切のものを唯一独自の完全な形でもう一度、かつ決定的に提示しようという、ただ一つの衝動しか持たないかのようである。彼の中には彼が生きているのではなく、時代の精神が生きているのである。過去と当時のあまたの世代の芸術的摸索、意欲、制作、憧憬、錯誤のいっさいが彼の中に総合されており、彼の中で展開しつくされるのである。

 この点でこのドイツ最大の音楽家と比較しうる者は、あのドイツ最大の哲学者のみである。カントの制作もまた非個性の性格を持っている。彼はたんに、そのなかで時代の哲学的理念と課題が帰結を引き出したところの知性にすぎなかった。その際カントは、ちょうどバッハが時代の提供する音楽的形式を吟味もせずに受け入れたのと同様に、出来あがったものとして眼前に見いだされた術語のスコラの中で無造作に制作したのである。

 バッハが単独的個性ではなくて普遍的個性であるということは、すでに外面的にも明白に現れている。彼は三ないし四世代にわたる音楽の発達をその身に体験したのである。ドイツの芸術生活の中であれほど独自な地位を占めているバッハ家の歴史をたどる者は、ここに生起していることは必ずや何か完全なものに到達するに違いないという感じを抱くのである。いつかは一人のバッハが、・・・そのなかに、かつて世に現われたあのバッハ家の人々すべてが生き続けるようなバッハが、・・・あの家系の具現しているドイツ音楽の流れを終局に導くようなバッハが現われるということは、自明のことと感じられるのである。ヨーハン・セバスティアン・バッハは、カントの言葉を借りれば、一つの歴史的要請である。

 いかなる道をとるにしても、中世の文学と音楽の世界の踏破を試みる者は、必ずバッハにたどりつくのである。

by アルベルト・シュヴァイツァー




 ・・・それは休憩時間にもまだ感じられ、ささやきや、ベンチで坐りなおす小さな物音が、楽しげに生き生きとひびく。人々は心よろこばしく、自由になって、あらたな偉観を出迎える。そしてそれはやって来る。大きな自由な身ぶりで巨匠バッハが彼の神殿に歩み入り、感謝をもって神にあいさつし、祈りから身をおこし、讃美歌の言葉をかりれば、神への帰依と日曜日の気分を楽しむことに着手する。しかし、開始して多少の空間を見いだすや、たちまち彼はハーモニーをいっそう深くかりたて、動きのある多くの声部のうちに、メロディーどうしを、またハーモニーどうしを組み込ませ、音の建築をささえ、高め、仕上げ、教会をはるかに越えて、高貴で完全な体系にみちあふれた天界に達する。あたかも、神が眠りにつき、杖のマントを彼にゆだねたかのようである。彼は、かたまりあった雲のなかでどよめき、ふたたび自由で明るい光の空間を開き、凱歌をあげながらもろもろの太陽と惑星を高みへと導き、真昼どきにはのんびりと休み、しかるべきときに、ひんやりとした晩の身ぶるいを誘いだす。そして、沈みゆく太陽のように、力強く壮麗に終わり、沈黙しながら、輝きと魂にみちた世界をあとにのこすのである。

by ヘルマン・ヘッセ




 『悲愴ソナタ』を見なおし、しらべなおした。そのなかにあるパッセージが、旅行のあいだじゅうほとんどずっと耳について離れなかったのだ。今いいピアノがあれば、自分でも満足いくように弾けるかもしれない。しかし、ベートーヴェンのあまりにも感動のこもった調子は、バッハの瞑想的な憧憬とくらべると、ずっと少ししかわたしを動かさないのだ。

by ジット




 ひと言にしていえばまったくありふれたただの人間であって、なんの哲学もなく、およそ天才らしい気まぐれなど薬にしたくも見当たらぬ存在なのだ! 彼はベートーヴェンのように雨のなかを帽子もかぶらずに何時間も歩きまわったりはしない。またモーッアルトのようにナプキンを鼻のところでくるくると振りまわすこともしない。ヴァーグナーのように登攀趣味をもち合わせてもいない。またシューマンのようにエスプリ豊かな書物を書くこともしない。いな、バッハは自分の作品の行く末にすら心をわずらわしはしないのだ。御本人としては自作の曲が全部埋もれ去ってしまってもいっこうにかまわぬがごとくであって、事実また、どんなに多数の作品が埋もれてしまったことであろうか! こうして最近でも、バッハ芸術の最大の賞讃者のひとりであるE・ルッカは、バッハのことを「人間としてはまったくつまらない存在」であると断じて、シュヴァイツァー同様、人間バッハと芸術家バッハのあいだに確然たる一線を画したのである。

 それはすべて正しい。しかしながらその際に非常に重大な一点が看過されたことをも指摘せねばならない。バッハにおいても、人間と芸術家がたがいに触れ合う、いなそればかりでなく、この両者が重なり合ってひとつとなるほどに本質的な一点があるのだ。そしてこれこそ彼の宗教心の問題である。


 ・・・それは、深い宗教心をもった人間バッハの姿である。しからばその芸術像は、これに相応ずるものであろうか?

 冒頭に述べたとおり、人間バッハがなんらかの意味で芸術家バッハとつながっているということは、近頃ではきわめて強く否定されるようになった。そのような断絶は、筆者自身も認めたように、たしかに「市民的」バッハについては主張できるかもしれないが、宗教的人間としてのバッハに関しては当てはまらないのである。これから見ていくところで明らかになるとおり、バッハはその芸術において、人間としての彼が代表していたところのあの宗教心のタイプを、まさしくそのまま体現している。すなわちルター派のなかではぐくまれたところのそれである。とすれば、バッハがその内面に、二つの同一の精神的流れを、相互に触れ合うことのない平行線として、いってみれば一種の予定調和的没交渉性においてかかえこんでいたということは、きわめて信じがたい事象であろう。むしろ、深い宗教心に裏付けられた彼の芸術を、ヨーハン・セバステァン・バッハという一個の「人間の」内面の直接的開示として捉えたほうが、はるかに単純な見方であると考えられる。ただしその場合に、彼の内面の開示といっても、これが芸術的天才の力によって、バッハその人が現実に備えていた宗教的教養の限界を超えて、純理想性の高みにまで磨きあげられていることは、容認されてよいであろう。

 かくしてバッハの芸術は、私たちの前に、バッハ自身のルター派的宗教心に裏づけられた生活を基盤としつつ、その上にそびえ立つルター派的人生理想の古典的開示として出現するのである。


 バッハのキリスト観は、われわれが蔵書目録からうかがい知ったところの傾向にまったく一致する。つまりルター派のなかに伝えられたそれに、少しく神秘主義的性格が織り合わされたものである。したがって、旧約聖書の雅歌やことに聖ベルナルドゥスに依拠して、キリストの魂に対する関係を、花婿の花嫁に対する温かい親密な関係として捉える細やかな柔らかさにも、決して欠けることがない。外面的には、まさにこうしたイエス思慕にとりわけ耽溺した敬虔主義的歌詞台本が、バッハの琴線に触れるきっかけとなっているわけであるが、その場合バッハのほうからも積極的に深いしらべを打ち出している点が重要である。


 バッハのキリストは総じて、神秘主義と敬虔主義が愛着するあの柔和でやさしい花婿ではなくして、むしろルターが教えデューラーが描いた強きキリストである。ルターがよく簡潔に呼んでいうところのあの「丈夫」であり、われらのために罪と死と悪魔に打ち勝った永遠の勇士である。たとえばバッハが受難曲で、主イエスをテノールでなく、バスに歌わせていることを注意しておこう。受難曲の伝統にのっとるものとはいえ、バッハは主が青年でなくて、成熟した壮年男子であることをはっきりと捉えている。


 根底は自己のうちなる不安と神にある平安である。ここから発してバッハの宗教心は、すべての広さを蔽い、すべての深みに達する。天と地、太陽と星、御使いと悪魔、雲、大気、風、すべての「森と人と町と野山」を包摂する。「すべては汝らのものなり。されど汝らはキリストのものなり。」すべてのものに魂がこもる。これは純ドイツ的な感じ方である。バッハは、ドイツの偉大な画家や音楽家がほとんどそうであるように、「秘めたる詩魂の持主」であって、彼の詩魂にふれるとき、いっさいのものが音楽となる。


 バッハにとっては、どんなにいと小さきものといえども、少なくとも一筋の陽の光を受け取る能力と資格を備えているのだ。これは彼の歌詞台本の扱い方にも現れていて、拙劣な台本をもたいせつに拾い上げて、これに彼の息吹を吹き込む。これを足もとに踏みにじってしまわず、逆にあの善きサマリア人のように、「オリーブ油や葡萄酒を注いで」その傷を包み、いたわり介抱する。こうして神が措定された現実の上にしっかりと足を据えて立つ態度こそ、バッハのうちに躍如たるプロテスタント精神の現われであって、現実からの解脱を本質とするカトリック的「法悦」の正反対である。

by プロイス




 感情を表現することは彼には無礼なことと思われただろう。個人的な情熱がいったいいかなる価値や「客観的」意味を持ちうるのか?そうしたものは芸術のテーマではない。それに、たとえ意味があるにしたところで、個人的な感情の表現を主な目的としているような音楽は・・・醜悪だろう。感情というものは現実、つまり散文の材料である。しかるに美はある種の形式的均整のうちに存するのだ。音楽家は音と音の間の間隔に意味を与える純粋な形態、とくに美しい形態の構築に努めるべきである。したがって音楽家のなすべきことは出来事を語ることではなく、主観的なことではないがゆえにだれにも起きたことがなく、また起こるべくもない無人称的な物体を作り上げることであると。こうした音楽的形態に最も似かよっているのは装飾品の飾りだが、飾りの形態はなんらかの物の形をとろうとしているのではなく、純粋に抽象的な美しさを付与された線たらんとしているのである。しかし、飾りというものがつねになんらかの現実の形態を元とし、不可避的にそれを想起させるものをなにか保持しているのと同じように、旋律のなかには好むと好まざるとにかかわらず、なんらかの感情的反響、つまり散文的なものの残滓が潜在していて、それが、それ自体では天体のように冷ややかな音楽的観念に温か味を与えているのである。

by ガセット




 ほとんど百歳にもなろうとしていたオルガニスト、ヨーハン・アーダム・レインケンの言葉は教訓的です。この人は、バッハが1722年にハンブルクを訪れた際にカタリーナ教会のオルガンで長大なラプソディー風の即興曲を、古い北方のオルガン・コラールの様式で演奏するのを聴いたのですが、非常な自信家として知られていたこの高齢の男は、バッハに近づいてこう言ったのです。「この芸術は死に絶えたものと思っていましたが、それがあなたのなかでまだ生きていることがわかりました。」

 この言葉は、あのオルガン・コラール『バビロンの流れのほとりにて』をはるかにしのぐ象徴的な意味を持っています。バッハのなかには、最も古いものが最も若いものとしていきているのです。

by ベルトラム




 「言葉によってわれわれは全世界を支配する。言葉によってわれわれはたやすく地上のすべての財宝を手に入れる。われわれの頭上にただよう目に見えないものだけは、言葉はわれわれの心のなかに引きおろさない。」

 バッハに対する私たちの世界の位置、そして、私たちの世界に対するバッハの使命は、ここにあげた、ドイツの最初の芸術使徒ヴァッケンローダーの命題によって描かれているように思われます。この命題は、地上の財宝や人間の言葉と行為の限界を、稲妻のように照らし出しますが、同時にまた、人間の心が必要とする奇蹟をも私たちに約束します。・・・なんとなれば、われわれの頭上にただよう目に見えないもの・・・それがバッハの音楽のなかで私たちのもとに降りてくるからです。

by ベンツ




 < バッハ >


響きは、窺うかのごとくなおためらい、

予感しつつも、またしりぞかねばならぬ、

と、そこにおこるひとつの音、かすかな鐘の合図、

響きは、山の歩むがごとくよせ来たり、

さえぎるものとてなく、きみがうちに、わがうちに、

力強く攻め入り、われらをとらえる

・・・人はただ共鳴たらんエコーたらんとするのみ・・・。

響きはわれらを導く、われらが

眺望あるところに達し、われらをとりまくすべてが、

正しき度合いを得るにいたるまで。

響きはわれらを整理する、これは小さい、

これは偉大だ、それをとりかえることはできぬ、と。

大いなる時代、大いなるざわめき・・・

はいれ、くわわれ、時代の大いなるフーガに!

by ベッヒャー




 バッハの生涯は貧しい一市民のそれである。この困難で限られた哀れな生活ほど小説的でないものもなければ、これほどロマンティックでないものもない。大きな事件といえば学校での、或いはむしろ礼拝堂と言った方がいい場所でのみじめな争いであって、音楽の父ヨーハン・セバスチャン・バッハは、いくらか喧嘩好きで訴訟好きな、頑固なお人好しの役を演じているのである。彼は自分の上司との、トーマス学校の校長や副校長との衝突をおそれない。彼はその頃誰でもと同じように、また今日の誰でもと同じように、時の権力者に宛てて手紙を書く。彼は日曜日の勤行のために神聖なカンタータを作曲し、またそういう小さな贅沢をすることのできた学生たちの集会のために世俗的なカンタータを作曲する。そして・・・これはまた随分滑稽な話だが・・・、ライプツィヒでは人の死ぬ数が実際少なすぎると言ってこぼしている。彼は文字どおりこう書いている、「平素以上に埋葬の多い場合には収入もそれにつれて増加しますが、ライプツィヒは空気がすこぶる快適なため、昨年の如きは、埋葬による臨時収入に百ターラーの不足を見たような次第です。」一人の市民が死ぬ。するとそれがこの正直なカントルのために、おそらく或る偉大な楽想の”もと”になったのであろう。

by デュアメル




 バッハの作品は、だれにでも、音楽家でない人にでも語りかける。このことは、ひとつの比喩によってもっとよく説明できる。すなわち、どんな人生にも、すべての外的なもの、すべての外観、すべての見せかけがわれわれから離れおちる瞬間がある。私たちはそのような瞬間に人生を自然の出来事として感じ、誕生、最高の悦楽、最も深い苦しみ、死、といった人生の永遠の諸動機を感受する。私たちは人生を、私たち貧しい人間がほとんどさからうことのできない運命として感じる。いまやわれわれという記から生命の液が涌き出るかのようなのだが、その液は、甘い味もしないし、酔いをもたらすこともない。この生命の水は、渋く、苦く、薬味にみちている。それのすばらしいところは力だ・・・そしてこの力は真実なのだ。バッハの音楽もこれに似た味がする。彼の創造に美と力をあたえているのは、つねに真実であり、絶対的に純粋なものである。彼の作品に具現されているのは、ロゴスであり、あらゆる存在の究極の意味なのである。

 一人間が、どうしてそのような包括的なものを、究極のものを、超時間的なものを生みだすことができたのであろうか?

by フィッシャー




 バッハはいわゆる「独創的天才」でもなければ、創始者でもなく、むしろ彼はドイツ音楽の歴史にふたたび帰り来ない一つの可能性を完結した人であります。同様にして、ホメーロスにおいては最古の叙事詩が、またトマス・アクィナスにおいては中世のスコラ哲学が完結されたのです。私の知るかぎり、バッハが前の時代から受け継がなかったという形式はほとんど見あたりません。受難曲、ミサ曲、モテット、組曲、トッカータ、フーガ、韻文的聖書章句の音楽的解釈としてのコラール前奏曲…これらすべてに対してきわめて多数の、崇高な美しさをたたえた模範が存在していたのです。しかしバッハはこれらのあらゆる形式に最後の完成を与えました。これら諸形式のうちに宿る対位法の技術に対しても同様でありました。以前の作曲家たちにとっては往々にしてまだ困難なものとされた線構成も、バッハにおいてはなんの造作もない自明の事柄であるかのように見受けられます。多声的構築は成長して、巨大なものにふくれ上がりました。だがそれと同時に、もっともかけ離れた音をも結合することができる和声法によって、各声部はたがいにより正確に、またより厳密に関係づけられたのであります。


 彼の知っていたものは音楽の偉大さであり、また音楽が個々のいかなる創造する人間よりも偉大であるということでありました。自分の書きつける小節の一つ一つが古い伝統の上に立つものであり、この深遠な背景なしにはおそらく不可能であっただろうということを、彼は知っていたのです。バッハの認知せざるを得なかったことは、彼がドイツに見出したかくも完璧な音楽様式が、芸術家にときどき勝手気ままなふるまいに対する慎重さとつつましい謙虚さだけを要求するという仕方で、さらに創造と形式をつづけて行くということでありました。

by シュタイガー




 われわれがバッハの音楽とともに相続した最も高価な遺産は、人間に許された完全性の究極を見きわめる眼と、不可避と悟ったものを忠実にはたす道の認識、しかもその義務の遂行は、完全性に達しようとすれば、結局あらゆる必然性を超え出なければならないという認識であります。

by ヒンデミット




 バッハの音楽は・・・十九世紀の初期において再発見されて以来・・・人々の評価において、最も動揺することの少なかった音楽であります。バッハは今日においても、以前と同じく、他のいかなる作曲家も希求し得ない、雲上に位するところの楽聖であります。

 それにはいろいろ多くの理由もあげられるでありましょう。まず第一に、バッハの音楽は静けさに充ちた制作のたしかさをもっていることです。というのは、それ自体のなかに完全な調和を保ったメロディーとハーモニーとリズム的要素の統一された格調をなしていることで、いつもくり返し驚嘆せずにはいられません。どんな小さなバッハの作品のなかにもゆきわたっているあの精細な均衡、あらゆる個々の細部の配置の不断の沈静、そしてもうはじめから「それ自身のなかに静止」して動かぬ静かな感情によって結び合わされています。・・・これこそ、バッハの生命感をくっきり性格づけるものであり、・・・バッハの音楽に真の意味において超個人的な色彩を与える者です。


 バッハは宗教音楽家として最も重大な出来事であったし、今日でもそうだ、ということです。バッハの音楽と彼自身の内部の宗教的な核心との密接な結合があまりにも強烈であるので、それはただ彼の音楽の主題の展開その他の音楽的形式の上での限界をなしているだけでなく、この地上的現実の豊かさを音楽のなかに盛り込む妨害ともなっています。・・・たとえば彼の時代の同僚だったヘンデルや、さらにもっと以後の作曲家たちに比べて。内心における至高者との密接な結合は、もし他の人間だったら、むしろ精力の困難、弛緩、先走った自己の浪費などに堕ちてしまったかも知れないのですが、バッハの場合それは不断の新鮮な、高められた力の源泉となっています。これこそ今日のわれわれをして、バッハにおいて、なにびとをも凌駕する最も偉大な音楽家、音楽におけるホメーロスを発見せしめる理由であります。彼の光は今われわれヨーロッパの音楽の空に輝きを放ち、今日までわれわれのなにびともよく彼を越えて行きえなかったのでした。

by フルトヴェングラー




 バッハの奇跡は他のいかなる芸術にも生じていない。人間性を赤裸々に示して、ついにはこうごうしい横顔をそれに与え、霊的な感激を人間の手近にある日常の行為のなかに感じさせ、もっともはかない現実に永遠のつばさを与える。すなわち神聖なものを人間的にし、人間的なものを神聖にする。これがバッハであり、その音楽はあらゆる時代を通じて最高で至純な瞬間なのである。


 バッハは、一つの声部が語るべきなにものを持たないときは、その声部は沈黙すべきだと主張した。すばらしい考えではないか。少しも無理をしないのだ。巨匠はその声部を、音楽的意義が作曲者に要求するまで再開しない。なんという創造の自由さだろう!


 私の考えでは、人はもっぱらバッハの宗教的な面に傾倒しすぎている。彼の多数の作品には熱烈な信仰が反映していることは事実である。この巨匠は誠実な信仰の人であって、その職業で教会に奉仕するよう導かれた音楽家であった。それにもかかわらず、私は彼の音楽にただ宗教的感情だけを認めるというわけにはゆかない。それはまったく無理じいだ。宗教的霊感がすべてではない。われわれはこのカントルに暗示と響きの無限の音調を認めるべきだ。すなわち民衆の素朴な喜びや、通俗的な踊りや、優雅さ、芳香、自然への愛がこめられた瞑想などである。もちろんこの巨匠は心から宗教的な精神の持ち主であって、受難曲やコラールのなかに、彼はこの感情をもっとも完全で壮麗なかたちに表現しているのだが、私はこの霊感が彼の作品におけるすべてではないと主張するのだ。

 私にとっては、バッハはすべての高貴な感情を音楽に移す必然性を感じた”詩人”なのだ。


 この作品の基底はコラールだ。それは民衆の歌曲から出たもので、バッハはそれを通じて信者たちともっとも親密な融合に達することができたのだ。しかも、宗教的であり、同時に、民衆的な要素をもつコラールは、最大の音楽形式の一つなのだ。


 すべての精神的創造物は、ある程度その時代によって特色を与えられてはいるが、偉大なる創造を特徴づけるものは、それが未来に向かって、輝く星のごとく映っていることなのである。バッハはいろいろな時代にのけものにされ、もっともうきめをみた巨匠であり、それだからこそ私は、故意ではないにせよ、彼を<昔の人>として示すような評価のしかたを本能的に信じないのだ。私が若いころ多くの人がバッハのことを尊敬をもって語ったが、同時にまったくの誤解をもっていた。今日でもある芸術家たちは、バッハが私たちから非常にかけ離れたものと思いこみ、演奏にさいして<客観性>や<没個性>を求めるという大罪を犯すのだ。バッハの作品は、シェイクスピア、セルバンテス、ミケランジェロの作品がそうであるように、まったく”現在”のものである。そして私たち音楽家は、彼の現に生きている溌剌さと輝きを見失ってはならない。


 われわれ自身、日ごとにバッハの偉大さが増し加わるのがわかってくる。彼を演奏すること・・・深味をもって演奏することに関しては、われわれはやっと模索の域を出たところだ。最良の忠告は、注意深く、先入主をしりぞけ、演奏において、この音楽がわれわれに伝え、われわれに霊感を与えるものにできるだけ近づくということだ。もう一度言おう。バッハの解釈には特別な法則というものはないのだと。

by カザルス




 < BーAーCーH >


それは明るく展けた十月の一日、

野は鮮やかな褐色とやわらかな金色に彩られ、

耕された畑、清涼の気・・・

おお、大いなる天のまえの大いなる地!


またそれは、分別ざかりの一人の男、

死の家なるこの世のただなかに、悪意にみちて

もつれるこの世のしがらみのただなかに、

配慮と愛の道をおのが運命として。


だが彼は、その心を神へとふり向ける、

太陽の歩みへ、星辰の座へと。そこに

花咲く法則。彼は見つめる。耳傾ける。沈黙する。

彼は書く。そして署名する、b-a-c-hと。


だからこそ、友よ、わたしたちに授けられるのだ、

身のまわりの日々といのちのように、そして

世界の地底から湧く聖歌のように・・・

この歓喜と真実、まったき警告と慰籍とが。

by ゲース